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代表取締役社長のダン・ミラー氏
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サン・マイクロシステムズ株式会社は3月10日、11日の両日、「Java Computing 2005 Spring」を開催している。今年はJavaテクノロジーが誕生して10周年の節目の年でもあり、今回のイベントは、米国で6月に開催される「JavaOne San Francisco」の前夜祭との位置付けで行われている。
開会にあたり、同社代表取締役社長のダン・ミラー氏が挨拶。「Javaは今ではエンタープライズから、デスクトップ、携帯電話、PDAなどさまざまに利用されている。極端な例では、歯ブラシやライターにも使われている」と、この10年でJavaがあらゆる場面で利用されるまでに成長したことを紹介。その中でも大きな要因として、「Javaを支えてくれたコミュニティが大きな存在。ここにいるみなさんがJavaの未来を決める構成要素といえる」と述べ、多くの開発者が支持したことがJavaの発展につながったことを強調した。
■ Strutsの産みの親「JSFなどのフレームワークやIDEによりJavaの技術者は今後も増える」
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米Sun MicrosystemsのSenior Staff Engineer、Craig McClanahan氏
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Strutsの産みの親であり、JSF1.0の仕様策定リーダーとして名を馳せている、米Sun MicrosystemsのSenior Staff Engineer、Craig McClanahan氏も基調講演に参加し、Javaの10年を振り返った。
Javaが登場した1995年はインターネットが普及している時期でもあり、多くのベンダーがWebによるアプリケーションの実装技術を模索していた。MicrosoftではASPによって実現しようとしていたが、Microsoftの技術を支持していた多くのVB技術にとっては、新しい技術を覚える必要に迫られた。「どうせ新しい技術を覚えるならJavaでもいいじゃないかという技術者も多くいた」とMcClanahan氏は語る。また、サーブレットやJSPは、HTMLやJavaScriptに精通している人にとっては、非常になじみ深いものであったことも普及の大きな要因だろうとも述べている。さらにMcClanahan氏は、「Javaの技術者が増えるにしたがって、いかに再利用性の高いプログラムを効率よく開発するかが議論されるようになった」と語り、多くの標準化技術やフレームワークの発展に影響していることを示唆している。
今後のJavaの展望に関してMcClanahan氏は、JSFのようなフレームワークの登場や、それらに対応するIDEによってJavaの技術者は今後も増えるという。結果としてさらにJavaの普及がは進んで、接続されるクライアントも多様なものになっていくであろうと予想した。
■ Javaに大きな影響を受けた人々から見た「Javaが成長した理由」
引き続いて、Java誕生10周年企画としてパネルディスカッションが行われた。パネラーには、稚内北星学園大学の丸山不二夫氏、富士通株式会社の作田真樹氏、日本BEAシステムズ株式会社の中嶋睦月氏、日本IBM株式会社の清水敏正氏、日本オラクル株式会社の鈴木俊宏氏、サン・マイクロシステムズ株式会社の門間純一氏の6名、モデレーターはITmediaエンタープライズ編集部 編集長の浅井英二氏。
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稚内北星学園大学の丸山不二夫氏は「中身はわからないがとにかくおもしろいとおもった。世界で一番最初にJavaの講座を開講した」
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富士通株式会社の作田真樹氏は「オブジェクト指向技術のビジネス化を担当していたときにJavaに出会った」
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日本BEAシステムズ株式会社の中嶋睦月氏は「スマートなシンタックスなど、言語的な視点からJavaに入っていった」
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日本IBM株式会社の清水敏正氏は「OS/2のサーバー系の仕事をしていた。(OS/2では)クローズドで失敗したが、Javaの成功にはそうした面も活きているのでは」
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日本オラクル株式会社の鈴木俊宏氏は「Javaが出たときは別会社にいた。オラクルがJavaをやると聞いて転職した」
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サン・マイクロシステムズ株式会社の門間純一氏は「Javaに関心を持ち、どうせやるならということでサンに転職」
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Javaにはじめて触れたときの印象について、丸山氏は「95年というインターネットの始まりの時代にあっていた。また、プログラミングしやすさ」に関心を持ったという。鈴木氏も「ネットワークベースの言語だったのがJavaがブレイクした理由だろう」と述べた。作田氏は「オブジェクト指向技術をどうビジネスに結びつけるかで悩んでいたときにJavaに出会い、これならビジネスになると直感」したという。しかし、「会社からは子供が新しいおもちゃを手に入れたのと同じようにおもわれ、仕事としては認めてられなかった」と、Javaに対しての評価が低かったことにも触れた。
業務には使えないという評価を受けていたJavaだが、結果的にはエンタープライズなどで利用されるなど、大きな成功を収めている。この理由について作田氏は「やはり、インターネットの普及のタイミングにあっていたのが大きかった。また(開発言語としてみても)わかりやすかった」と述べ、清水氏は「オープンだったことが大きい。多くの人がJavaを支えてくれたから」とコミュニティの存在の大きさに触れた。コミュニティの力について、鈴木氏は「アメリカで開催されているJavaOneに参加した経験があると理解できるが、とにかくすごい熱気にあふれている。あの雰囲気の中に入ると、盛り上がらざるを得なくなる」と、Javaの成功に対するコミュニティの影響力の大きさを紹介した。
今後のJavaに求めるものとしては、品質や性能などの向上が求められた。「医療に使ってはいけない、航空関係に使ってはいけないなど制限がある。これを改善してほしい」(鈴木氏)、「言語拡張があまりにも大きくなるのはどうかとおもう。よりスマートにするというのも進化としてあっていい」(中嶋氏)などの意見が聞かれた。開発者に対しては、オブジェクト指向を取り入れたシステム開発をしてほしいというリクエストも出された。「プログラムを作る人は、“次”にどう資産を継承させるのかを考えてもらいたい。またシステムを作る際も、いかにスマートなプログラムを書くかを意識してほしい」(門間氏)との要望もあがった。
■ URL
サン・マイクロシステムズ株式会社
http://jp.sun.com/
Java Computing 2005 Spring
http://jp.sun.com/jc2005/
( 福浦 一広, 北原 静香 )
2005/03/10 18:10
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