日本IBM橋本社長、「2010年はお客さまとともに新たな価値を創造する1年に」
「真のパートナーとして、お客さまとともに新たな価値を創造する1年にしたい」、日本アイ・ビー・エム株式会社(以下、日本IBM)の橋本孝之社長はこう切り出す。顧客の課題を理解し、経営への貢献を目指すのが、日本IBMが掲げる真のパートナーの意味だ。そして、積極的なマイグレーション施策の展開にも乗り出し、その成果にも自信を見せる。一方IBMでは、一昨年から新たなコンセプトとして「Smarter Planet」を打ち出し、この実現に向けた取り組みを開始している。日本IBMの橋本社長に、社長就任1年目となった2009年における日本IBMの取り組みを振り返ってもらうとともに、2010年の方針、そしてSmarter Planetへの取り組みについて聞いた。
―2009年1月1日に社長に就任してからちょうど1年を経過しました。この1年、どんなことに取り組んできましたか。
代表取締役社長の橋本孝之氏 |
橋本氏
2009年初めに、3つの重点課題を発表しました。ひとつめは、「自由闊達(かったつ)な企業文化の醸成」です。いまの経済環境を考えれば、本当の意味での価値を、お客さまに提案できない限り、購入していただけない。それならば社員が生き生きして、お客さまに本当の価値を提案できる環境を作ればいい。それに向けて、社員のスキル向上のための教育の推進、リーダーシップの向上、そして、お客さまに割く時間を多くするための活動を徹底しました。
一方、役員に対しては、「あなたの組織を活性化するために、あなたはなにをするのか。それをコミットして、イントラネットに掲載するように」と指示を出しました。顧客のもとに出向く時間を全体の何%にするとか、社員とのコミュニケーションの時間をどのぐらい増やすかといったさまざまな提案がありました。そして、それを宣言するだけでなく、実際に3カ月ごとに評価を行い、その成果もイントラネットに掲載するようにした。カルチャーを変えるのはトップダウンでやっていく方が効果が出やすい。トップ自らが、しっかりと「自由闊達(かったつ)な企業文化の醸成」に軸足を置き、社内に徹底していく体制を作ったわけです。
また、GMホットラインと呼ぶ、いわば目安箱ともいえるものを7月から用意しました。社員が、私に対して、「こういうことについてどう考えるか」、「こういう提言があるがどうか」、「最近こういうことが気になっている」といったことを直接言えるようにしたもので、すでに約50件の声が集まりました。11月30日には、いままで提出された提言に対して、私がどう回答したのかといった内容をイントラネットで公開しました。これも社員との双方向コミュニケーションの一例です。
さらに、働きやすい環境を提供するという点で、新たなホームオフィス制度を7月から導入しました。これまでのホームオフィス制度と大きく異なるのは、月に1回だけ出社し、そこで上司と話をすればいいという仕組みにした点です。すでに30人の社員がこの制度を利用していますよ。日本では画期的な制度ではないでしょうか。
もうひとつ、社員が生き生きと働くための新たな取り組みを行っています。30代後半から40代中盤の幹部候補生35人を、米国、欧州、中国などの海外のIBMに出向させました。現時点では、ビザの取得の関係もあり、出向しているのはまだ20人程度なんですが、これまでのようなビジネスニーズでの出向ではなく、完全な教育目的として出向させた。かなり投資がかかりますけど(笑)、一度やってみて成果があがれば、もっと若い人にまで対象を広げたいと考えています。
―2つめの重点課題はなんですか。
橋本社長が掲げた3つの重点課題と、それを支える「良き企業市民としての社会的責任」の考え方 |
橋本氏
「お客さまへの価値創造をリードすること」です。IT投資には3つの形態があると考えています。
ひとつは、設備更新型の投資。リース期間が切れたからとか、ハードが古くなったからという更新のための投資です。しかし、こうした経済環境のなかでは更新を先送りにするといった動きが強い。いまの時期はまったく駄目です。
2つめは義務的投資というもので、例えば、SOX法への対応や、法令順守の観点からのバックアップを行うといった投資。これは必要とされる投資ではありますが、成長を支える投資ではありません。
いま求められているのは、3つめの構造改革支援型のIT投資。このなかには、短期的にコストや経費を削減するための投資と、経済危機を乗り越えたあとの価値を高めるための投資があります。この3つ目の投資に日本IBMの強みを生かしていきたい。そのためには、やはり社員のスキル向上が必要になる。いまは、仕事のトランザクションが集中して忙しくて仕方がないという時期ではありませんから(笑)、顧客に価値を提供するためにどうするのか、そのためにはどんな教育をすべきかといったことに積極的に取り組みました。ここにはかなりの投資をしたつもりです。2009年第2四半期(4~6月)から、営業を中心に四半期ごとに数百人単位で教育を開始し、さらに、教育を受けた人が社内会議などで別の社員に教育をしたり、e-ラーニングを活用した教育を実施するなど、すでに2千数百人が受講した計算になります。これが営業のスキルアップにつながるのです。
―具体的にはどんなことをやるのですか。
橋本氏
2009年から、BAO(ビジネス・アナリティクス・アンド・オプティマイゼーション)やクラウドといった新たなトレンドが出てますが、こうした新たな技術に対する教育だけにとどまらず、もっと本質的なところにフォーカスしたものとしています。
いま、ITベンダーに求められているのは、大量に売りさばくとか、値段で勝負するとかではなく、本当にお客さまのビジネスの構造を改革することにつながる提案ができるかどうかです。そのソリューションに対して、自ら評価できるようにならなくてはいけない。例えば、日本IBMの提案は、競合会社に比べて、どの程度の差があるのかを数値化して理解することで、どこが劣っているのか、どこが優れているのかといったことが具体的にわかる。顧客のニーズが理解できていないのか、本当の意味でソリューションが作り込めていないのか、あるいはソリューションを説明しきれていないのか。勝ち目があるのかないのかもわかります。もし、勝ち目がないのであれば、どこを補強すれば勝ち目があるのか。日本IBMにその力がないのであれば、海外のIBMの力や、パートナーの力を借りるといったことも行う。そうしたことをやっているわけです。
―橋本社長自身、社長就任後初の会見で、顧客のもとに積極的に出向くことを宣言しましたね。水曜日以外は、顧客の出向くと発言して話題を呼びましたが。
橋本氏
日本IBMは、お客さまに対して、もっともっと深堀りをしていかなくてはならないと考えています。日本の企業はマルチレイヤー構造になっていますから、トップの意見を聞き、役員にも話を聞き、またIT部門や現場にも話を聞いて、ニーズそのものを理解する必要がある。私自身、社長に就任して以来、一日平均で2件のお客さまに訪問することを目標にしていましたから、1年間で約300件のお客さまには訪問している計算になります。もともと中堅・中小企業を担当するゼネラルビジネスの出身ですから、お客さまのトップに会うことに対してあまり違和感がありませんし(笑)、また、お客さまのもとに出向くことは、社員の教育にもなるんです。
私は、社員に対して、「視点を高く、視野を広く」ということを言っています。一緒に出向くことで、お客さまの問題を直接聞くことができる。営業が情報システムだけの話をしたら、ITシステムのコスト削減の話にしかなりません。ITを使った企業全体のコスト削減策や、ITを使った成長戦略といった提案が必要であり、これはIT部門ではなく、トップと話さないと見えてこない部分もある。「狩猟型」から「農耕型」への転換といったらいいでしょうか、単にシステム案件の話をするのではなく、じっくりとお客さまの声に耳を傾けることが大切であり、そのためにはバリュークリエーション(価値創造)に時間を割くことが必要になる。いま、日本IBMではそうした環境を作っています。
また、お客さまのトップと、直接お話をした際に、たまに、日本IBMはハードやソフトといったITのインフラをやっている会社という認識しかない場合がありました。日本IBMは、サービスをやっており、その中身もコンサルティングに始まり、アプリケーション開発、運用、BPOに至るまで幅広い分野で展開している。「日本IBMはそういうビジネスをやっていたのかと」と驚かれる場合もある。これを知っていただいたことで新たな協業が生まれた例もあります。
―3つめのポイントはなんですか。
橋本氏
「新規ビジネスの拡大とパートナーシップの強化」です。2009年を振り返ると、日本IBMは、新規顧客を獲得できた1年だったと自己評価しています。お客さまが構造改革に対して真剣に取り組むなかで、ITコストを削減したいという要求が高まり、それがアウトソーシングやBPOの新規案件獲得につながりました。アウトソーシングサービスは堅調であるととらえていただいて構いません。既存のアウトソーシング契約のリニューアル、新規のアウトソーシング契約、そして、既存顧客の満足度を背景にした追加案件による契約といずれも堅調です。新規のお客さまとしては、JVC・ケンウッドホールディングス、日本郵船、中国銀行、工学院大学などがあげられます。
いずれも、長期的視点でのコスト削減、そして、ITガバナンスの強化という目的があります。IT予算を8割に抑えながらも新規開発を増やす。しかも、これを時間という観点からも解決しようとすると、やはり餅は餅屋に頼んだ方がいい。そこでアウトソーシングの需要が高まっているわけです。
―日本IBMがアウトソーシングにおいて高い評価を得ている理由はなんですか。
橋本氏
日本IBMは、1993年からアウトソーシング事業を開始し、これまでに約170社もの実績がある。さらに、ご利用いただいたお客さまが契約を更新し、継続的に使っていただいている。こうした実績は新規のお客さまにとっても安心感につながります。そして、グローバルでのケーパビリティも強みになる。中国、インドといった拠点の活用や、日本国内だけでは解けない問題も、グローバルのノウハウを活用して解決できるようになります。そこに日本IBMならではの他社にはない強みが発揮できる。
―3つめの重点課題であげた、もうひとつの観点であるパートナーシップの強化はどうですか。IBMがサービス事業に力を注ぎ、またアウトソーシングやクラウドといった新たなビジネスが拡大するのに伴い、パートナー自身が、日本IBMとの距離、顧客との距離をあらためて考え直しはじめています。そのあたりをどうとらえていますか。
橋本氏
日本IBMは、以前のように、PCやプリンタを持っているわけではありませんから、その点だけをとらえてもおのずと販売するものが変化してきているのは事実です。一方で、パートナー自身も、ハードやソフトを売るだけのビジネスでは、顧客に食い込めないことを理解し、いかに新たなバリューを提案できるかが鍵になるという認識を持ちはじめている。それにあわせて、スキルに対する投資や、ソリューションに対する考え方も変えなくてはならないでしょう。
はっきりいえば、いままでのビジネスのやり方では通用しなくなる。IBMからハードを購入して、手作りのシステムを開発するようなビジネスは、中国から安いシステムを作る会社が続々と参入したり、優れたパッケージが登場すれば、すぐに置き換わってしまう。さらに、クラウドの世界が訪れると、また大きな変化を余儀なくされる。その点ではいまは過渡期だといえますし、われわれもパートナーに対して、変革を促している部分があります。パートナー自らがエンドユーザーとのかかわりをどう変革していくかを考える重要なポイントにあるといえます。
―日本IBMとパートナーとの距離感はどうなりますか。
橋本氏
Smarter Planetの考え方などを持ち込むと、私は、日本IBMとパートナーの距離がもっと近づかなくてはならないと考えています。ただ、両者が同じことをやっていても仕方がない。IBMができることと、パートナーができることを明確にし、SOAやクラウドといった世界の上で、それぞれの得意なところを発揮する、あるいはお互いの役割を明確に分担するといった関係が必要です。
実は、2009年7月から、ビジネスパートナー事業部門においては、「ワンチーム・フォー・パートナー」と呼ぶ体制を敷きました。パートナーから見ると、ビジネスパートナー事業部門がひとつに見えるというメリットもありますが、同時に、ビジネスパートナー事業部門には、パートナーに対して、経営の側面から日本IBMがどう指南できるかについても考えろといっています。
いままでのように、IBMの製品を買ってくださいとか、売ってくださいとかではなく、パートナーそのものがどう変革すべきかという観点から、アドバイスしたり、支援することを視野に入れる。ですから、日本IBMとパートナーとの関係はこれまで以上に、一歩踏み込んだともいえます。単に製品の取り扱いだけの関係から見ると、場合によっては、距離が遠ざかっているように見えるかもしれません。しかし、そうではなく、新たな協業の形に踏み出したという理解の方が正しい。もちろん、すべてのパートナーに対して同じ支援体制を敷くことはできません。強いパートナーと組んで、新しいビジネスを構築していくということになります。
―いま、3つの重点課題について振り返っていただきましたが、これらの取り組みを通じて、2009年を「次代への礎を築く1年を目指す」としました。その成果はどうですか。
橋本氏
社員のスキルの問題や、パートナーとの新たな関係構築の考え方など、いくつかの骨組みはできたと思っています。しかし、どのテーマも、とても1年では完成するものではありません。来年、再来年に向けて、もっと加速しなくてはならない。ただ、基礎体力は着実についてきたといえます。社内では、四半期ごとに社長賞を表彰しています。第1四半期、第2四半期はどちらかというと大規模案件に対する表彰が中心でしたが、第3四半期は、価値提案がわかりやすく、「これならば顧客が買っていただけるのもわかるな」というものが増えてきた。経営を見て、その変革を支援するようなソリューションが具体的に出てきたのは喜ばしいことです。日本IBMの提案の仕方が変わってきたともいえます。
―ただ、短期には成果が出にくい案件が増えますね。いわば数字が作りにくい。それにも関わらず、日本IBMの提案手法が変化してきた理由はなんでしょうか。
橋本氏
短期的に成果を求めるような従来の売り方では、売れないということを実感していることが大きいでしょうね。また、会社側も高成長を要求しているわけではないですし、それ以上に価値、利益に軸足を置いている。
確かに、売り上げだけを追うやり方はあります。価値が少なくても、最低限必要なものを提案して売る方法はある。しかし、価値の少ない提案ばかりをしていたら、景気が良くなった時にわれわれやお客さまは立ち上がれないほどのダメージを負うことになります。日本IBMの売り上げが100億円で、顧客の利益が1億円という案件と、日本IBMの売上高が1億円で、顧客の価値が100億円の案件があれば、私は後者を評価します。前者のように日本IBMが100億円の売り上げをあげても、きっと日本IBM自身も本当の意味で利益は出ないでしょう。
顧客の構造改革にどれぐらい支援することができたのか、といったことが最も重要なことであり、むしろ私自身は、大きなビジネスであることや、売り上げは大きい方がいいという考え方が、社内に広がらないように慎重に取り組んでいます。私自身の社長としての評価も、そこを見てほしい。ひとつひとつのボリュームは厳しいが、付加価値や利益率では健全なビジネスであるということが大切です。
―この意識はどれぐらい社内に浸透していると。
橋本氏
かなりできていると考えていますよ。80点ぐらいはできているんじゃないですか(笑)。
―2009年にやり残したことはありますか。
橋本氏
山のようにありますよ(笑)。取り組みはまだ始まったばかりですから。グループ会社を含めて2万数千人いる社員が、本当に理解してくれるまでにはまだまだ時間がかかる。そこに到達したというバロメーターは、お客さまから、「本当に日本IBMは変わったね」といわれた時でしょうね。少しずつですが、一部のお客さまから、そうした声をいただき始めています。
だが、もっともっと言われるようにならなくてはいけない。そう言われるようになれば、結果としてマーケットシェアがあがり、社員のワクワク感も高まり、社員満足度があがる。そして、社員のスキルがさらに向上し、お客さまを理解できる社員が増え、より高度な価値提案ができるようになり、顧客の満足があがる。これが最終的には、フィナンシャルリターンへとつながる。こうした回転を作りたい。むしろ、本当のチャレンジは、これからです。
課題をあげるとすれば、価値提案によるボリュームを増やすことですね。ボリュームを増やすためには、営業がさらにお客さまの変革を理解し、付加価値がある提案を行うことが大切です。経営の観点から会話ができるスキルを兼ね備え、カバーできる範囲も広げなくてはいけない。顧客のもとに出向く時間も増やさなくてはいけない。そして、IBMの持つ価値をもっと勉強しなくてはいけない。それができるようになれば、いまこそ、こんなにすばらしい時期はないともいえる(笑)。いまは、すべてのお客さまが課題を抱えているわけで、むしろどこを見回しても課題だらけの状態です。それをどうやって解決していくのか。私は、社員にはこういっているんです。「新聞を読めば、毎日、RFP(リクエスト・フォー・プロポーザル:提案依頼書)が出ているじゃないか」と。それをどう読みとって、われわれのソリューションとして提供していくのか。ですから、誤解を恐れずにいえば、こんなに面白い時期はないということになるんです。
―2009年の日本IBMの業績はどうなりますか。
橋本氏
厳しいのは事実です。しかし、赤字に陥るということはありません。私は、正しい方向に向いていると思っています。しかし、これからはボリュームがもっと必要になるでしょうね。
―先ほどもちょっと話に出ましたが、日本IBMの歴代社長のなかでは、橋本社長は、初のゼネラルビジネス出身の社長です。この経験は、どんな変化を日本IBMにもたらしたと考えていますか。
橋本氏
中堅企業、大企業を問わず、顧客のトップに会うということは、ゼネラルビジネスの担当時代からやっていたことですから(笑)、それはいまのやり方に生かされていますね。また、特定の業種に縛られるということもありませんでしたから、あらゆるお客さまにお邪魔しても話ができる。さらに、パートナービジネスが中心の部門でしたから、パートナーを熟知していますし、長い付き合いがある。ご支援をいただく際にも関係が構築しやすい。逆に困ったことは、ゼネラルビジネス出身ということで、大企業向けビジネスをやめるのかという誤解を招くことですね(笑)。決して、そんなことはありませんから(笑)。
2009年10月に本社機能を箱崎に集約した |
―2009年を振り返りますと、本社を六本木から箱崎に移しました。これはどんな影響が出ていますか。
橋本氏
箱崎に集中したことで、むしろ風通しがよくなった。このビルのなかですべてが完結しますから。こうした仕組みは、世界のIBMのなかでも珍しいですよ。これは大きな成果だったと思っています。
―六本木は象徴的な存在でもありましたし、外から見ていると、どうも縮小感が否めないのですが。
橋本氏
規模という点では、幕張の拠点もあるわけですから、キャパシティそのものは広がっています。21世紀に向けて変わっていく、新しいIBMに変わっていくという点で、箱崎への本社機能の集約は意味があります。箱崎本社は、隅田川の水を空調に活用した省エネビルですし、また地下ですべてを堆肥(たいひ)にする施設を持ったゴミを出さない環境配慮型のビルです。2009年は日本IBMに社名を変更してからちょうど50年目でしたし、箱崎本社は21世紀の日本IBMを象徴するビルといえるのではないでしょうか。
―IBMでは、Smarter Planetのコンセプトを発表しました。なぜ、いまIBMはSmarter Planetを提唱したのか、それは日本IBMのビジネスにどうつながるのでしょうか。
橋本氏
Smarter Planetは、ビジネスや社会を賢く効率化し、新たな対応力を得ることで、より良い世界へと変わるという提案です。なぜ、いまIBMがSmarter Planetを提案したのか。それには3つの理由があります。
ひとつめは、この経済危機が去ったあとには、新たな価値観が芽生えてくるだろうという点です。これまでの経営の中心は、株主資本主義のものでした。しかし、株主は重要なステイクホルダーではあるが、ほかに社員、顧客、地域社会、パートナー、サプライヤーもステイクホルダーに含まれる。それぞれに対してバランスを取った経営が求められるのがこれからの時代の価値です。例えば、環境に配慮した持続可能な社会を目指す価値観が重視される時代に入ってきたこともそのひとつでしょう。企業自身が価値観の多様性に対応するとともに、新たな価値観を持たなくてはならない時代に入ってきたという変化が、Smarter Planetの提案のベースにあります。
2つめには地球環境を見回した場合に、あまりにも無駄が多すぎるという現状認識です。例えば、交通渋滞ひとつとっても、経済損失はGDPの2%に匹敵するといわれますし、食のサプライチェーンが悪いため、日本では9000万トンの食料を買ったり、育てたりしているのに、1900万トンを無駄にしている。一方、世界を見ると10億人が飢餓に直面している。こうした課題を解決する必要があります。
Smarter Planetを支える3つの情報通信技術 |
そして、3つめには、情報通信技術が、それを解決できるレベルに進化しはじめたということです。情報通信技術には、3つあります。ひとつはICタグや超集積化によって機能化された技術、2つには安価に利用できるネットワークによる相互接続。そして、3つめにはスーパーコンピュータを含め、高い解析力を持つインテリジェント化。これらの要素が組み合わさって、Smarter Planetが実現されることになります。日本IBMも、情報通信技術を駆使することで、日本をスマートにすることに貢献したい。貢献する相手はもちろん日本の企業です。IBMの知見を活用することで、日本の企業が成長し、そこで日本IBMのビジネスを成長させることになります。
―すでに具体的な事例は出ているのですか。
橋本氏
まだ大規模な例はありませんが、オムロンによる物流への取り組みや、福岡地区水道事業団による水道施設のアセットマネジメントなどの事例が出ています。日本におけるこうした事例をもっと発表していきたい。2009年3月に、大和事業所にSmarter Planetを推進するためのJapan Business Solution Centerを開設したところ、これまでに90社500人が見学しました。2010年にはこれを具体的な成果に結びつけたいですね。
―かつて、IBMではe-businessなどのコンセプトを掲げた経緯があります。e-businessはゴールが見えやすいコンセプトでしたが、Smarter Planetは、器が大きすぎて、なにがゴールなのか、どんな成果を求めているのかが見えにくいと感じます。
2009年2月、Smarter Planetのコンセプトを日本で初めて発表した橋本社長 |
橋本氏
Smarter Planetは、IBMだけが取り組むものではなく、パートナーとともに取り組んでいくものですから、その点でも、わかりにくいのかもしれません。Smarter Planetの考え方を落とし込んだものとして、Smarter Citiesがあります。2050年には全世界人口の約70%が都市に住むといわれている。つまり、都市そのものを賢くすることが、地球全体を賢くすることにつながってくる。そこで、都市に対して、行政サービス、教育、医療、公共安全、交通、エネルギーとユーティリティの6つの定義から取り組んでいくのがSmarter Citiesです。むしろ、このように定義そのものは明確になってきている。そのなかで、パートナーとともになにができるかの検討している段階にあります。まだ水面下でやっているものが多いが、これから具体的な形で展開していくことになるでしょう。
日本IBMとしても、Smarter Planetにおいて、例えばビルの省エネ化といった課題に対して、日本には古いビルがどのぐらいあり、一定のCO2を削減するためには、それらのビルに対してなにができるのかといったことを、政府や地方自治体、関連企業と話しあって、具体的な目標として立てることになるでしょう。
―例えば、日本IBMの売上高に対して、「Smarter Planet」による取り組みがどう影響するのかといった点まで踏み込むことになりますか。
橋本氏
いまの時点ではそこまではできていません。目標として、Smarter Planetの事例としていくつ認定したいというものはあります。2009年で30個の事例に取り組み、2010年は30個以上はやりたい。すべてが公表できるものではありませんが、なるべく多くのものを公表したいですね。
―2010年は日本IBMにとってどんな1年になりますか。
橋本氏
2009年は、社員教育やソリューション提案に関する骨組みができた1年だとすれば、2010年は、真のパートナーとして、お客さまとともに新たな価値を創造する1年にしたい。いま、日本IBMには負の財産はない。あとは前に進めばいいだけですから、新たな提案によって、競争力を高めることができる。つまり、成長が期待できる1年であり、新たな価値創造を形にする1年でもあるといえます。
振り返れば、2009年前半は、多くの企業がコスト削減、経費削減のサバイバルゲームのなかにあり、後半になってようやく底が見え、同時にサバイバルするための経費削減などのやり方もわかってきた。つまり、明日に向けての方向感で出てきて、さまざまな検討がはじまったともいえる。それを踏まえて2010年は、本当の意味で、地に足が着いたような新たな価値が求められる。日本IBMは、この1年、それに向けて着々と投資をし、準備をしてきた。この投資がドライバーとなってビジネスが伸びていくことに期待しています。
重点分野は、クラウドとBAO(ビジネス・アナリティクス・アンド・オプティマイゼーション)ですね。クラウドは、一般的なインフラという観点からではなく、Smarter Planetに向けた基盤として活用したい。クラウドを売るとか、クラウドを使ってもらうとかではなく、基盤としてとらえ、その上にアプリケーションが乗り、共有化されることになる。その点でクラウドが本当の意味で元年を迎えることになるでしょう。BAOにおいては、アナリティクスが前面に出るような感じに聞こえるかもしれませんが、日本IBMが提案するのは、ビジネスプロセスにアナリティクスが組み込まれるというような提案。2009年の実績でも、金融機関においてにマネーロンダリングに関する仕組みを構築した。ATMで流れているデータから、問題があるトランザクションを抽出するという仕組みは、BAOがもたらしたソリューションのひとつです。BAOとは、コンピュータの構造解析の能力を使い、データをあとから分析するものと思われがちですが、アナリティクスが入ることで、システムそのものが賢くなる、プロセスそのものがもっと高度化するといった方向が明確になってくるでしょう。
―2010年も現場指向、顧客指向の姿勢には変わりがありませんか。
橋本氏
2010年も、引き続き私自身がお客さまのもとをお邪魔する姿勢は変えません。課題解決の原点は、現場にあります。IBM社内でやるのは教科書を勉強することだけです。基礎体力をつけるということで教科書は大切です。しかし、実践は現場に行かないとできません。教科書で勉強していても、ビジネスの成長にはつながらない。なかで勉強し、外で実践し、ということをバランス良くやらなくてはならない。そして、実践の領域は、IT部門だけではでなく、経営部門と現業部門にも広がる。
日本IBMは、これまで以上に現場型の営業体制になったと思っています。しかし、もっともっとお客さま指向、現場指向のIBMに変えていきたい。2010年も、その点には徹底的にこだわっていきます。
2010/1/5/ 00:00