「オンラインゲームは生きてる世界、まだまだ成長する」ネクソン崔社長
今回のEビジネスマイスターは、初の韓国人社長の登場です。韓国ではゲームが日本以上に盛んなことは有名ですが、過去の経歴や韓国のIT業界を動かしている人脈についてなど興味深い話をお聞きすることができました。
Eビジネスマイスター:崔 承祐(チェ・スンウ) 株式会社ネクソン 代表取締役社長 1968年5月2日 韓国・ソウル市生まれ 1986年 英国 London DULWICH COLLEGE 卒業後、1991年ソウル大学卒業、1994年同大学院修了。 株式会社大宇を経て、1999年NEXON Corporation(所在地:韓国・ソウル市)入社。2002年 株式会社ネクソン(旧:株式会社ネクソンジャパン)取締役就任。NEXON Corporation海外事業本部長などを歴任し、2009年1月より株式会社ネクソンジャパン(2009年4月に株式会社ネクソンに社名変更)代表取締役社長に就任。 <ネクソン主要データ> 主力ジャンル = 韓国はカジュアル、日本はRPG 世界展開国数 = 60カ国 全世界ユーザー数 = 3億2千万(登録ID数) 日本国内ユーザー数 = 600万(登録ID数) 代表作 = カートライダー、メイプルストーリー、アラド戦記 (2009年8月現在) |
―この間、学生に言われてハッとしたんですが、社長業の前の学生時代の話があると、普通なら偉大だな、で終わる経営者たちがずいぶん身近に感じられると。
崔氏
そうなんですか。でも困りましたね。大学時代に僕はビジネスにふれた経験なんて、全然なかったんですよ。父からは、ビジネスはやるな、崔の家族にビジネスで成功した人はいないと言われていたもので。
―お父さんはどんなお仕事を?
崔氏
外交官です。その影響で、あちこちの国に移り住みまして。生まれはソウルなんですけど、アメリカ2年、インド2年。ソウルの小学校に入学して、3年生のときに一度日本に来たんですよ。6年生の半分まで日本にいて、小学校卒業から中学校まではソウルに。その後、中3から高校まではイギリスでした。そして、父に続いて外交官をめざすために、ソウル大学で国際政治を専攻したんです。
―大学時代は、また日本に来て上智大学で学んだこともあるとか?
崔氏
いたのはほんの2カ月くらいなんで、ちょっと恥ずかしいんですけど(笑)。JALが全世界の大学生を集めるスカラシッププログラムがあるんです。今でも続いてるはずですよ。僕が参加したのは88年で、そのころ日本はバブルの絶頂期だったんで、かなり大規模でしたね。韓国は近いので4人、アメリカは2人、1名参加の国々もあって合計50名が学費や滞在を支援してもらえた。日本の大学生代表とも交流して、スゴいプログラムでしたね。
―韓国からは、同じソウル大の学生さんも参加していた?
崔氏
それがですね。一緒にソウル大から参加したのが、ネクソン創業者のキムだったんです! 彼はコンピュータ工学専攻で、それまで面識がなかったんですけど、このスカラシップで初めて知り合った。学校の合間にアキバに行ったりして一緒に遊びましたね。
―秋葉原はやっぱり、あこがれの地?
崔氏
こここそ、日本のテーマパークといいますか、特にゲームに関してはあこがれの場所ですよね。キムは、日本で成功して、秋葉原でゲームを売って、行列ができる姿をぜひ見たい、とそのころから夢を語ってました。それくらいロマンがあるんです。
―そのころから、一緒に会社を作る話などは?
崔氏
いえ全然(笑)。その後もキムとの付き合いは続いて、10年以上飲み友達だったんですが、会社を作ったって話だけで、実際どんなことをしているのかには正直、興味がなかった。なにしろ、ベンチャー企業を作るということに、当時はいいイメージがなくて、ゲーム会社を作るなんて、不良がすることだと思っていたくらいです(笑)。
―じゃあ、しばらくはキムさんと別の道を歩んだと。
崔氏
そのころはまだ、外交官をめざしてました。大学を卒業して、外交の大学院に入ったんですが、3年間粘って、結局、外交官試験にパスしないまま終わってしまいました。
―大学時代に、ほかに打ち込んだことは? スポーツとか?
崔氏
運動競技は苦手なんで、やったのはビリヤードとダーツ。ビリヤードは、ビリヤードクラブが近くにあったのが理由です。だいたい、大学の前にはどこでもビリヤードがあるんですよ。韓国では、すごくはやってますね。ビリヤードの腕前は普通でしたけど、友達と集まったり、店員さんと仲良くなったり、今でも一番思い出の場所です。
ダーツは、米軍のリーグがあるんですよ。チームを作ったら参加できるということで、初のダーツチームを立ち上げて参加した。これは本格的にやりましたよ。イギリスから国際競技用の用具を入手して、家では1日8時間くらい練習。試合のときには母にユニホームを用意してもらいました。
―ホントかウソか分からないくらいスゴいですね。
崔氏
外交官にも受からないし、母も僕が卒業するまで、ものすごく心配したと思うんですけど。その後は軍隊で情報関係の仕事をした後、大宇という商社が採用してくれて。当時は、自動車など幅広く手がけていた大企業だったんですよ。
―大宇ではどんな仕事を?
崔氏
銅の輸出です。1年間、貿易の書類を覚えた後、大宇がまだ輸出したことのない、新しいマーケットの開発を担当しました。ところが98年に韓国は、IMF経済危機に見舞われた。大宇がサムスンやLGと違うところは、自前の商品を外国に売って稼ぐことができなかったこと。輸入した商品を売って稼ごうにも、国内にはドルがないし、経済危機ですから信用状が発行してもらえない。そんなわけで、会社の業績が傾いてしまったところに、ネクソンのオーナーになっていたキムが、こっちに来いと。
―それは、いつのこと?
崔氏
98年の冬ですね。ネクソンは94年12月にできたんですが、98年にオンラインゲームがブレークしはじめて、海外市場に行こうとしていました。僕はゲームなんか知らない、できるのは外国語が話せることぐらいだと言ったら、それをやってほしいと。
―ネクソンの第一印象はどんなだった?
崔氏
「これ会社?」って(笑)。自分は当たり前のようにネクタイ締めてサラリーマンやってたわけでしょ。それがここでは、Tシャツ、ジーンズ、挙げ句の果てには上半身裸?って感じの人まで。席でもこーんな(いすの上にひざをあげて、ほおづえ付くしぐさ)格好の人がいて。社風に対して、かなり抵抗感もあったんだけどね。でも入ってみたら、当時の社員80名ほどのうち、半分くらいがデザイナーの女性で、そのころ独身だった僕にはちょっとうれしい環境だった(笑)。
―職場恋愛ができるかも、なんて!?
崔氏
まさか、ないですよ(笑)。結婚したのも社外の人です。今は日本で一緒に暮らしてます。
―まあ、それは置いといて。入社してからはずっと海外を担当?
崔氏
ええ。私がネクソンジャパンを設立したのは99年。最初は日本企業のソリッドネットワークスと50対50の合弁会社を作って、日本側の大塚社長にお任せしていました。ところが合弁企業というのは、双方のバランスがとれないと、やりにくい。当時はゲーム事業が赤字で、大塚社長のWebホスティングだけがもうかっていた。これ以上迷惑はかけられないという気持ちと、もうからなくても投資するということが合弁会社ではできないという不便さもあって、合弁を解消しました。平和的に解消しましたから、大塚社長とは今でもよくお会いしています。
―そして、単体でネクソンジャパンを作ったということですか?
崔氏
ええ。それまでは私が韓国から出張で日本に来てビジネスをしていたんですが、そろそろ誰か日本に駐在してくれる人に社長に就任してもらおうと。そこで外部から招いたのが前社長のデビッドです。
―ソフトバンクで孫さんのもとにいらっしゃった方ですよね?
崔氏
ええ。彼はゲーム好きなんですよ。国籍はアメリカ、血は韓国。日本でずっと働きたいというので適任かなと。
※デビッド・リー氏:1998年ニューヨーク大学法学部卒業、弁護士を経て2000年に来日し、ソフトバンク株式会社に入社。韓国のブロードバンドアクセスプロバイダ「Thrunet」取締役およびSOFTBANK KOREA取締役として、主に韓国におけるビジネスを統括。2003年~2008年にかけてネクソンジャパンの代表取締役社長。
―なるほど。それで日本が立ち上がってから、海外本部長を経て、今は崔さんがトップになったと。専門は営業なんですか? マーケティング?
崔氏
ライセンス販売ですね。ゲームを作ると著作権が生まれます。その著作権を売上につなぐのが僕の仕事です。
―それではそろそろ、ビジネスの話を。ネクソンさんはいわゆる「アイテム課金」を日本で最初に導入されたことで話題ですが、その辺の話をお聞きしてよろしいですか?
崔氏
2000年にクイズ系のオンラインゲームを作ったんです。その前まではRPGが主流だったんですが、カジュアルなゲームを作ったところ、爆発的な人気となりました。テレビ番組でやっているようなクイズにアバターとして自分が登場するゲーム。クイズに正解したら、ゲームマネーをもらって、もっといい服やアクセサリーを買えるというものです。自分がテレビに映るようなもので、ゲームを続ければ続けるほどおしゃれになれる、そんなゲームでした。
※カジュアルゲーム:バラエティ豊富なジャンルとシンプルなルールを特徴とし、簡単な操作で短時間でもプレイできるゲーム。緻密(ちみつ)な本格派RPGとは一線を画する。ノン・バイオレンスな内容で、子供から幅広い年代のユーザーが楽しめる。
―その評判は?
崔氏
公開ベータテストを開始してから2週間後に10万アクセスという、当時の新記録をマークしました。さっそく商業化しようという動きになりまして、そのころは月に2500円の定額制というのが当たり前だったので、カジュアルな分、安いほうがいいんじゃないかと。そこで、月額1500円の定額サービスとしてオープンしました。
当時は、ユーザーの20%は無料体験で終わり、80%は課金に残るのが相場でした。ところが、このゲームは90%が体験だけ、課金には10%しか残らなかったんです。
―大失敗だったんじゃないですか。初期のカジュアルゲームは。それで?
崔氏
どうせダメになったゲームだけど、わずかでもユーザーが存在する。サーバーをシャットダウンするわけにもいかないので、2001年に無料化を宣言したんです。ところが、無料サービスといっても、エンジニアは日々メンテナンスをしないといけない。無料じゃ報われない。だったら作ったアイテムをキャッシュで売ってみようというアイデアが現場から出ましてね。そしたら、アイテムショップからお金が入り始めた。
無料化してからユーザー数も完全回復。もちろん、課金ユーザーと無料ユーザーの比率は1:9のままだけど、その10%のお客さんがよく使ってくれる。入ってくるキャッシュが定額制にした場合の試算よりも多いんですよ。
―2:8の法則みたいですね。
崔氏
その通りです。これをきっかけに、韓国ではアバターアイテムを販売するビジネスが完全に定着しました。楽しくプレイしたい人がお金を使う。定額制は捨てよう、と。
そこからアイテム販売を主眼に置いたゲームを次々と開発しました。「カートライダー」というカジュアルゲームは国民的ゲームと呼ばれるくらい人気です。2003年には、RPGの「メイプルストーリー」にアイテム課金を導入。それらの成功により、日本では2006年にすべてのオンラインゲームを無料化に切り替えました。
※メイプルストーリー:「メイプルワールド」を舞台に、さまざまな島や村、都市でモンスターと格闘しながら、冒険の旅を進めていくオンラインRPG。すべてのグラフィックを2Dで描いた、アクション性が高い横スクロールタイプのオンラインゲームで、簡単なゲーム操作法とかわいいグラフィックが定評。アバター方式を採用したオンラインゲームとして、世界で初めて成功を収めた。日本独自のアバターアイテムやマップを頻繁に追加している。(2003年12月 正式サービス開始)
―アイテム課金の料金って? 一番高いものでどれくらい?
崔氏
安いものでは50円や100円。ものによっては、1000円前後のものから2000円するものもあります。2000円のものは特殊なアイテムで、何十時間分かのプレイに相当して、あるレベル以上からスタートできるといった忙しいユーザー向けのサービスです。
人気のアイテムは、ちょうどカプセルの「ガチャポン」に似てますね。何が出るか分からないから楽しいと思って買ってくれる人が多いんです。
―日本へのオンラインゲーム普及への課題は、どんなところにあるのでしょう?
崔氏
まず、ゲームソフトを5000円で買う、月額いくらで払う、という日本の文化にどこまで通用するか?ということですね。これには「メイプルストーリー」で自信が生まれました。最近は、ユーザー数が300万IDを超えて、手堅く伸びてますね。
※オンラインゲームのユーザー数:国内では一般的に、100万ID到達でヒット作品といわれている。「メイプルストーリー」の300万IDは大ヒット作品の代表例。なお、同作品は、全世界で9200万IDに到達している。
それから、日本はこれまでのゲームソフトの影響でRPGに慣れている。国民性に合っているんでしょう。カジュアル系のゲームは、日本でも5タイトルくらい投入してみましたが、まだユーザー数が少なくビジネスにならない。カジュアル系もコミュニティ系も流行している韓国と比べると、日本の品ぞろえは、韓国の5年前くらい。まだまだ成長の余地があると言えるでしょう。
―営業・マーケティング上の課題は?
崔氏
当社には営業部がないんです。現在取り組んでいるマーケティングは、企業とのタイアップやWeb広告、ネットカフェさんへのB2Bなどが中心です。
韓国ではPC房といわれるネットカフェがあり、オンラインゲームの主要なインフラになっています。一番厳しいのが日本です。日本で街頭に立つと、コンビニやカラオケ店がすぐ目につくでしょう。それと同じように、韓国・中国では通りに出ると、ネットカフェがすぐ見える。大学の前では、今でもビリヤード店ですけどね(笑)。
オンラインゲームの場合は、物理的なマーケティングはあまり伸びません。現実世界よりもはるかに速いスピードで口コミが広がるからです。口コミによって、ゲームが倍々にヒットするケースもたくさんあります。
―競合している企業は?
崔氏
日本では、NHNさんですかね。ただ、NHNさんはボードゲームが主力、うちはカジュアルが主力なので、本来は競合しません。インターネット上でのエンターテインメント市場は、日本では10倍以上成長の可能性があると見ています。会社の成長と同時に市場も拡大させることができるんです。
※NHN:韓国最大のポータルサイト「ネイバー(NAVER)」とオンラインゲームの「ハンゲーム」が合併して誕生。IT企業としては韓国初の1兆円企業。
―日本企業でもGREEさんなどがアイテム課金を実施していますが?
崔氏
今は競合するより、マーケット拡大。もっとシナジー効果が出なきゃ。とにかくコンテンツを開発し、いいものを持ってきて、コンソールでゲームをやっている方に、インターネットは面白いと伝えることで、市場のパイ自体を大きくしていける時期ですから。
実は、NAVERのイ・へジン(当時の創業者)とネクソンの社長はルームメイト。「リネージュ」を出しているNCsoftのキム・テクジン(創業者であり、現在の社長)もクラスメイト。みんな友達なんです。この業界は、1967年生まれで、ソウル大学の工学科出身が多い。競合するより、国のためにこの産業を成長させようという思いを持っているんですよね。
―今後の展開はどのようにお考えですか?
崔氏
最大の目標は、市場から資金を得ること。つまり、上場を視野に入れています。特に資金が必要ではないんだけど、長くいた社員もいるし、成長を続けるには必要なことでしょう。ここ数年は不況によって、株式市場が回復していないためにしばらく様子をみたいと思います。今よりもっと数字をあげて、効率よく経営し、よりよい評価をいただくための期間だと思っています。
―事業内容は?
崔氏
アイテム課金は変わりません。このモデルをうまく活用できる新しいサービスを生み出していきたい。日本向けには、日本のユーザーに合わせて韓国・中国と違う独自のサービスを提供するとかね。
―既存のゲームは、まださらに伸びるものなんですか?
崔氏
ええ。それがオンラインゲームのいいところでもあり、難しいところでもあるんです。ゲームは生きてる世界なんです。会社は場所だけを提供している。どう遊ぶかはユーザー次第。同じゲームでも国によって、ユーザーの雰囲気や成長スピードが違う。生きた組織ですよ。そこに、成長できるような栄養を提供するために、開発をしつづけるわけです。「風の王国」は96年に韓国でスタートしましたが、14年たってもいまだに健在です。でも、14年前の「風の王国」とはずいぶん違います。
―売上目標は? だいたい1000億くらい?
崔氏
それくらいを目標にしたいですね。
―韓国生まれの企業が日本に本社を移転し、本気でビジネスを拡大していこうとしていることが特徴的だと思いました。ぜひ、日本市場での成功を皮切りにますます世界展開をしていけるよう期待しています。
本日は、お忙しいところありがとうございました。
今回のキーワード:アイテム課金制 ゲームの利用料ではなく、ゲームをより楽しむためのアバターアイテムやオプションアイテムの価値に合わせて価格をつけ、購入時のみ課金をするサービス。株式会社ネクソンでは、オンラインゲームを気軽に遊べるエンターテインメントとして認識してもらい、一人でも多くの皆さまに楽しんでいただくために、定額制を廃止して、2006年1月に全タイトルを接続料無料のアイテム課金制に完全移行している。購入にはポイントをチャージする方法をとっており、チャージ(購入)経路は、クレジットカードのほかコンビニ決済・Edy・ドコモケータイ払い・BitCashなど10種類に対応している。 |
2009/9/24/ 09:00