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日本発のグローバルなソフトを開発したい

アイ・ブロードキャスト上田社長

 今回のゲストは、TBS「筋肉番付」に挑戦した経験を持つことでも知られる異色の経営者、株式会社アイ・ブロードキャスト代表取締役社長の上田拓右さんをお呼びしました。

 アイ・ブロードキャストは、携帯電話などのモバイル端末に対して画像を配信する際に、自動的に端末の機種に最適なサイズや大きさに変換した上で配信を行う、独自のモバイルソリューションを展開している会社です。しかし、今回の対談ではむしろ上田社長の起業背景に話題が集中することになりました。


アイ・ブロードキャスト・上田社長 上田 拓右(うえだ たくゆう)
株式会社アイ・ブロードキャスト 代表取締役社長

1963年10月24日東京生まれ。高校卒業後1983年4月に渡米。ブラッドフォード大学に入学しハーバード大学を経て、1989年帰国する。日本にて、弁護士事務所内にて不動産関連の仕事に従事。その後輸入業などを経て1993年インターネットに出会う。


携帯端末向けコンテンツ配信ソリューションのサーバーソフトを販売

小川氏
 去年のNILSでお会いして以来ですね。5月のNILSも参加予定ですか?


上田氏
 そうですね、たぶん。しかしNILSにくる上場企業の社長はだいたい30人くらいだから、相当な総資産額が一堂に会するわけですね(笑)。


小川氏
 あ、ほんとですね(笑)。今日は、アイ・ブロードキャストというよりも上田さん自身にフォーカスして話を伺いたいと思います。とはいえ、まずは事業内容を伺いましょうか(笑)。


上田氏
 うちのビジネスドメインはですね、携帯端末向けを中心としたサーバーソフトのメーカー、というポジションです。静止画を携帯電話のキャリア向けに最適化して配信するサーバーソフトを開発して販売しています。動画変換サーバーを昨年リリースして、非常に好調ですね。


小川氏
 この分野でのシェアはどのくらいなんでしょう?


上田氏
 静止画では6~7割のシェアですかね。


小川氏
 サービス提供者ではないんですね?


上田氏
 メーカーという立ち位置です。SIやASPはやらないですね。ASPは他の会社と協業して提供してますが、自分ではやらないです。協業先のクラビットはCDN(コンテンツデリバリーネットワーク)としては日本として最大ですし、伊藤忠とも国内とアメリカでASPを始めています。いずれにしても、ソフトウェアというツールの提供と協業しかやらないですね。


小川氏
 競合他社というとどのあたりですか?


上田氏
 富士写真フイルムとNECかな。


小川氏
 割と少ないですね?


上田氏
 前は京セラもやっていましたが、われわれが出た頃に撤退しましたね。というかですね、こんなニッチなエリアはベンチャーにしか本当はできないですよ。99年だったかな、そのあたりに始まったiモードの機種を、現在にいたるまですべてに対応しているのはわれわれと富士フイルムくらいです。たいていの大企業はそんな面倒なことやらない。


小川氏
 何人くらいのプログラマーを抱えてるんです?


上田氏
 いや、サーバーソフトはネットワークがわからないとつくれないんです。つまり、うちにはほとんどプログラマーという職種はいない。必要なのはネットワークエンジニアかな。サーバーソフトの開発者はインフラ寄りのディープな開発知識が必要なんですよ。画像処理、サーバーソフト、排他処理、組み合わせてつくれるのはあまりいないです。


不動産事業からネットへ

小川氏
 上田さん自身はエンジニアでもないんですよね。


上田氏
 違いますね。元々アメリカの大学を卒業してから弁護士事務所にまず入ったんですよ。不動産バブルの前の時期です。その頃は大型物件は弁護士事務所で処理していたんです。で、不動産部を事務所内に作ったわけです。そこで僕は国内外の案件を担当していて、バブルにのって大きく儲けてました。ただ、結局ここではあまりいえないようないろいろなことがあって(笑)、27歳くらいで1億5000万円くらいの損をしました。


小川氏
 1億5000万円!?


上田氏
 ええ。でもね、手を引くのが半年や1年遅れた連中は数十億円の損をしてましたからね。ともかく、借金返すために、いろいろなことを始めました。重工業プラスチックの総代理店をしたり、宅配便のアルバイトや、皿洗いもやってました。


小川氏
 そこからどうしてITに入ってきたんです?


上田氏
 バブルがはじけた時期はまだ、コミュニケーションといえば電話、手紙が中心でしたよね。その頃にね、友達がHPを立ち上げたんですよ。それでそこにアクセスしたら、当時はほとんどの人がファイアウォールの知識やネットワークのセキュリティの観念もなかったから、ちょっと工夫するだけで、その友達の些細な個人情報を入手することができたんです。よくも悪くも、なにかビジネスになりそうな感じがしてね、インターネットに関するビジネスをやろうという気が起きたんです。ところが日本は、@をタイプしようにもできなくて、名刺にメルアドを書くのに@を手書きで書いたような時代でね、そこでアメリカにいったんです。

 アメリカではEコマースの市場が伸びつつあって、そこでクレジットカードのプロセッシングをして手数料をとるビジネスを始めたらこれがあたって、結構儲かりました。


小川氏
 アメリカですぐにそんな事業を立ち上げられたんですか?


上田氏
 ドライバーライセンスと社会保障番号があれば口座を開けたんですよ、当時は。ところがね、Eコマースでも、アダルトサイトがどんどん増えてきて、カードのプロセッシング上のブラックリストにひっかかるサイトやユーザーが増えてきて、非常に面倒になってきました。そうなると、右から左にものを動かすのは虚業、昔の不動産ビジネスと変わんない、という気がして。実業をしたいと思ってきたわけです。考えると、携帯電話でコンテンツを配信するような事業は見込みがあると思った。そこで、周囲のエンジニアにケータイにコンテンツを配信する仕組みを作れないかと聞くとできそうだというので、じゃあこれは?じゃああれは?という感じで話を進めて、2000年にアイ・ブロードキャストを創業することになったわけです。


エンジェルの助けを借りて事業を拡大

小川氏
 2000年だと、周囲の理解は薄かったんじゃないですか?


上田氏
 いや、なかなか分かってもらえなかったですね。2003年までは累積債務で2億2000万円までいきました。それだけつっこんだんですね。2002年頃にVCに会いにいったんですけど、誰も理解してくれなかった。おたくでは無理だよ、と言われ続けましたね。


小川氏
 どうやって資金調達をしたんでしょうか。


上田氏
 実はあるエンジェル(個人投資家)が長期貸し付けで助けてくれたんですよ。いろいろな人に助けてもらいましたが、特にシステムフロンティアの現会長でソネットの立ち上げにも寄与された松平さんという人には本当にお世話になりました。松平さんという人は、タクシー乗らない、コートも着ない、酒も飲まない人で、そんな人が自腹切って、日本発のソフトを作れと言ってくれたんです。貸し付けが億に届く頃に、うちのサービスがYahoo!から採用されたんです。


小川氏
 ラッキーなんでしょうが、そういう人に出会えること自体がすごいですね。


上田氏
 だからね、死んでもこの事業をやり遂げたいと思っているんですよ。大手企業に採用され始めた頃に、デッドエクイティスワップ(債務を株式化して、株式をVCなどに売って累積赤字を解消)して、会社の資本構造をきれいにできました。

 われわれは、2000年にこの事業を始めて、サーフィンに例えると、ずっと座って波待ちしていた状態だったんですね。でも、待ちきれない人は浜にあがっていた。みんながいなくなって、自分たちだけが波に乗れた。それが2003年頃の話です。


小川氏
 たいていの人は待ちきれないですよ(笑)。


上田氏
 FOMAは2001年の10月からスタートしたと思いますが、そのFOMAだって2003年くらいにようやく利用者100万人に達したわけです。市場要求と商品がマッチするには時間がかかります。FOMAがなければケータイのマーケットだってなかった。


小川氏
 上田さんとともに波を待っていたスタッフは今も会社に残っているんですか?


上田氏
 ほとんど残ってますよ。そのうちの二人がダブルCTOとして働いてくれています。静止画と動画のチームをそれぞれ率いてます。宮大工って知ってますよね。日本中みても宮大工の人数は少ないですよ。このケータイの配信ソリューションで、動画と静止画のチームを両方もてることは宮大工を抱えるのと同じです。だからこそ、先が見えるようになってきた感じですね。現在は、社員が18名、エンジニアが半分というところです。


小川氏
 僕は今のところ一人なので、うらやましい限りです(笑)。大企業とのコンペはあまりないとおっしゃっていましたが、今後も事情は変わらないとみていますか?


上田氏
 ビジネスは戦いだから、大企業がきて市場をもりあげたほうがわかりやすいと思ってますけどね。ただ、大企業とベンチャーの組み合わせが活性化しているように思います。大企業は、小さな市場の面倒な開発などを自分たちで作ろうなどとはなから思っていないです。


小川氏
 僕も最近、大企業からお呼びがかかることが多いですが、ちゃんと対等の関係を作れていますね。


上田氏
 われわれもキャリアとタイアップしているが、ちゃんとした目線というか、対等な関係ですよ。


日本がイニシアティブをとってグローバルスタンダードを

小川氏
 今後はどういう事業展開を考えていますか?


上田氏
 海外に進出できる事業を、ベンチャーがもっと考えていかないとならないと思っています。日本の市場では、ケータイのモバイルソリューションを持っている企業が多すぎるんです。正直もっと淘汰(とうた)されて、数が減らないと。海外では9000万台以上のケータイ上でECをばりばりやっているような経験を持った企業はないですよ。だから海外のベンチャーは2年くらいのビハインドを持っていると思います。今われわれが出て行かないと。


小川氏
 インデックスの大森さんも同じようなことをおっしゃっていました。


上田氏
 ケータイ市場では統合合併、M&Aをやっていかないとね。せっかく今は優位に立っていても、日本がイニシアチブをもってやらないと、今後は乗り遅れていくでしょう。うちもね、中国にいきはじめて2年立つんですけど、いまのところ鳴かず飛ばずです。でも、いまやらないと間に合わない。2~3年で、PCとケータイの市場のすみ分けがでるはずです。ほかの国はわれわれと違って、まだまだユーザーのニーズがみえてないはずです。日本では週に2~3台の新機種が出ます。そのなかで、われわれは静止画で700機種以上、動画で220機種以上に対応していて、これからも対応し続けます。


小川氏
 海外展開の具体的な活動は?


上田氏
 アメリカのケータイ端末でのテストも始まっています。中国の機種で日本のサービスをみることはできない状況ですから、展開はこれからです。いずれにせよ、ケータイはボーダーレスなツールです、その本来の姿をみせたいですね。


小川氏
 では、最後に今年の抱負をお願いします。


上田氏
 行く先はわかったが、船(会社)が小さい、という気がします。船を大きくしたいですね。そのためには統合が前提です。そもそも全体的にモバイルのエンジニアの数が少ない状況ですから。


小川氏
 アイ・ブロードキャスト自体が他社に買収されたらどうします?


上田氏
 日本のソフトをグローバルスタンダードにしたい、グローバルスタンダードテクノロジーを作りたいというのがわれわれのポリシーだから関係ないですね。自分が常にイニシアチブをとることは考えてないです。




小川 浩(おがわ ひろし)
株式会社サンブリッジ i-クリエイティブディレクター。 東南アジアで商社マンとして活躍したのち、自らネットベンチャーを立ち上げる。2001年5月から日立製作所勤務。ビジネスコンシューマー向けコラボレーションウェア事業「BOXER」をプロデュース。 2005年4月よりサイボウズ株式会社にてFeedアグリゲーションサービス「feedpath」をプロデュースし、フィードパス株式会社のCOOに就任。2006年12月に退任し、現在サンブリッジにて起業準備中。 著書に『ビジネスブログブック』シリーズ(毎日コミュニケーションズ)、『Web2.0BOOK』(インプレス)などがある。

2007/03/08 00:00

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