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「ソフトウェアパッケージ開発専業メーカーとして海外進出を加速」インフォテリア平野社長


 今回のゲストは、XMLをベースとしたソフトウェア開発を行うインフォテリア株式会社の平野洋一郎社長です。平野さんはコーポレートカラーであるグリーンに身を包み、黒いMacBookまでも緑色に染めてしまうほど徹底して、企業イメージの徹底に取り組む情熱的な経営者です。パッケージソフト専業メーカーは国内ではそれほど多くありませんが、どのような経営戦略をお持ちなのか、お聞きしました。


インフォテリア・平野社長 平野 洋一郎
インフォテリア株式会社 代表取締役社長/CEO

1998年インフォテリア株式会社を創立し現職に就任。1987年~98年、ロータス株式会社にて、表計算ソフト「ロータス1-2-3 R2.1J」(DOS版)から、グループウェア「ロータスノーツ/ドミノ」まで、幅広い製品企画とマーケティングを統括。元ロータス株式会社戦略企画本部副本部長。1983年~86年、株式会社キャリーラボにて、日本語ワードプロセッサを開発し1985年年間ベストセラーになる。株式会社キャリーラボ設立にあたり熊本大学工学部中退。熊本県生まれ。


ロータスから独立してインフォテリアを起業

小川氏
 創業はいつになるんでしたっけ。


平野氏
 10年前の9月の創業ですね。XMLによるソフト開発の専業会社として立ち上げました。XMLは、他の仕様や設計などから自由というか非依存という理由です。


小川氏
 その前はロータスですよね。


平野氏
 そうです。ロータスに11年いました。ちょうどLotus 1-2-3のDOS版を立ち上げた時期ですね。そのころはすでにWindows全盛ですからタフな時代でしたね。グループウェアであるノーツは93年に出しました。

 もともと熊本生まれで熊本大学に進学しまして。当時はMITとかスタンフォード、イリノイ大学などの米国の大学の周囲に多くのソフト会社が集まったことと同じように、熊本大学の周りにもソフト会社がたくさんあったんですよ。そこに出入りしているうちに、ある会社がソフトウェアの部門を作ったからこないかといってくれて、そこで2年生のときに退学して入社したんです。まあ、そうした日本のソフト会社の多くはそのあと進出してきた外資にやられて、受託やるか撤退するかという選択を迫られちゃうわけですけど。


小川氏
 その会社を辞めてロータスに移った理由は?


平野氏
 ベストセラーソフトも作ったし、よかったんですけどね、母屋であった会社の社長とだんだん合わなくなってきてしまって。

 また、当時は自分でソフトを作っていたわけなんですけど、作るだけではなくて売れるようになりたい、と思ったことがあってロータスに移りました。3年で当時はやめるつもりだったけど結果的に11年もいました。いい営業だったと思いますけど、実は逆にソフトが書けない体質になったのは計算外でしたね(笑)。そこで今のインフォテリアの副社長でありCTOである北原と出会って。彼が作る方、僕が売る方、という役割分担で、意気投合してインフォテリアを作ることになりました。


5年以内に売上の5割をSaaSにシフトしたい

小川氏
 インフォテリアという会社を一言でいうと?


平野氏
 うちは、ソフトウェア開発、パッケージソフトウェア会社、ですね。ソフトウェアの開発をしている企業は日本には何千とありますが、特定のところからの受託開発が多いんですよ。そのなかで、うちは数少ないパッケージ専業です。両方やっているところも多いですけど、うちはパッケージだけ。売れるかどうか分からない、注文もないけど作ってみる、そして売る、という会社です。外資だとオラクルや元のロータスもそうですし、日本だとジャストシステム、サイボウズ、あとは勘定奉行を作っているOBCとかくらいじゃないかな。パッケージソフトは今必要なものを作るというよりも、将来必要になるだろうと思われるものを予測して作るということが受託とは違いますね。


小川氏
 メインの商品は?


平野氏
 ASTERIAという、ファイルやデータ連携のソフトですね。受発注、販売管理、物流から経営分析まで、あらゆるシステム構築・再構築を短期間で作れるのが特徴です。売上的にはASTERIAが全体の9割、残りはXMLの教育サービスや、ネットサービスですね。いまはパッケージソフト販売がメインですけど、SaaS型へのシフトも進むでしょうね。


小川氏
 SaaSモデルへの切り替えは今後どういう速度で進むと思いますか?


平野氏
 うーん。とりあえず5年後には5割を目指したいですけどね。うちのような企業クライアントに販売するソフトの場合、なかなかSaaS化は進まないのが現状ですね。SaaSはデータを自社の外に置くわけですから、そこに心理的な不安があるのでしょう。ただデータの漏えいはシステムの不良よりだいたいは人的な話ですから、データを安心して預けられる先があるならその方がバックアップもされていいはずです。1000万円を手元に置いておく人はめったにいないですよね。銀行に預けるのと同じようにデータ保全のプロに任せた方がイイはずです。


小川氏
 セールスフォースの宇陀社長もよくその話はしますね。


平野氏
 SaaSのライバルはそういう認識のギャップなんですよ。ASTERIAのSaaS版(ASTERIA ON DEMAND)も出したことだし、徐々に浸透させていきたいですね。ASTERIA自体が、企業のシステムとシステムをさくっとプラグインでつなぐものなんですけど、最大のライバルはクライアントの中のプログラマー達自体だったりします。彼らの手作りのプログラムから置き換えてもらうことが結構難しい。うちにとってメインな商品だけど市場的にはまだ開拓期なんです。新しいものを売っていくのは時間がかかりますね。


小川氏
 MODIPHIも同じですね。MODIPHIというエンジンの上にニュースリーダーとかCMSなどのアプリを作っていますが、Movable Typeを改造しても作れるとか、自分で組んだクローラーでやれる、というような比較をされることはよくあります。


平野氏
 パッケージ化された汎用的なソフトウェアのよいところは、特にSaaSになればそうですけど、さくっと変更できるところですよね。変更って大事です。昔の企業システムは要件がきっちりできていて何年も変わらなかったですけど、いまは相手がある案件が多くて、先方の都合による変更はよくあることです。プログラムを書いた同じエンジニアを常に抱えていられるわけではないですから、仕様をもう一度見直して修正したり変更するのは時間がかかるだけではなく、読み間違えたらバグのもとです。だれが変更しても間違いがないようにするには、量産型のソフトウェアをベースにした方がいいはずです。

 徐々にご理解をいただいてきていて、今ではASTERIAは約500社にお使いいただいています。


小川氏
 ネットサービスにも手をかけられていると先ほどおっしゃられていましたが、どのようなものを開発されているのでしょう。


平野氏
 ネット系で成功するのはなかなか難しいですね。いいものを作るのはカンタンだけど、それで売上をあげていくのは難しい。いまはASTERIAで稼いで、新しい領域に投資するという段階です。

 ネットサービスの販売は別会社を作りまして、インフォテリア・オンライン株式会社というんですが、オンラインの付箋サービス「lino」、それからオンラインの表計算「OnSheet」などを手がけています。


海外進出は悲願

小川氏
 表計算はある意味十八番のようなものですよね(笑)。

 ところでロータス時代はマイクロソフトと市場争いをしていたわけですけど、当時の彼らを見ていると今のようにGoogleやAppleに対して弱音を吐くようなことが起きるとは思っても見なかった。あの当時はどのようにマイクロソフトと戦っていたのでしょう?


平野氏
 勝つ気でいましたよ(笑)。

 ノーツでは圧倒してましたしね。Lotus 1-2-3はマルチプランに勝ってExcelには負けてしまいましたけど。

 いまのASTERIAの領域でも、うちはいま国内でナンバーワンです。マイクロソフトはBizTalkという商品がありますが、まだまだ。その意味で、僕はマイクロソフトとの戦いが染み付いているといっていいですね。

 パッケージソフトの世界だと、Excelに圧倒されてしまいましたけど、オンライン表計算ではファイルフォーマットの共通化は当たり前の話ですし、Google Docsもあるから健全なシェアになるんじゃないですか?


小川氏
 なるほど。


平野氏
 マイクロソフトについてショックなのはレイ・オジーが入社してしまったことですね。ノーツの設計者であり著名な起業家である彼を僕は尊敬していました。その彼が永遠の敵(笑)のCTOになったのは受け入れがたかったですねえ。


小川氏
 レイ・オジーのgroove networksは、僕も日立時代にかなり参考にしていました。


平野氏
 実は僕の息子の名前はレイというんです。もちろん彼にあやかったんですけど、そのくらい尊敬してました。まあその尊敬する人物が敵であったマイクロソフトに受け入れられたのはいいことなんでしょうけどね。


小川氏
 この業界は何があるか分からないですね。

 ところでインフォテリアの近い将来の目標を最後にお伺いしましょう。いかがでしょう?


平野氏
 自分が作ったソフトを世界に提供するということを、実は10年の間に何回かチャレンジしたんですけどまだ成功してないんです。2000年にボストンに進出したけど9.11のころ撤退して。2004年に子会社作って再挑戦してますが、まだまだ。ASTERIAの米国での可能性のリサーチをしたり代理店を探していますが、まだ難しい感じです。

 今は上場もしたし、三度目の正直なのかな。先ほど話したlinoというサービスは日本語だけでなく、中国語と英語でもサービスを提供しています。パッケージを抱えていくのではなくて、ボーダーをあまり考えずにすむやり方がいいんでしょう。いまは言語別のサービスがどこでどう使われているかをみている状態です。それを理解した上でお金をいただける仕組みを作っていきたいですね。


小川氏
 分かりました。今日はありがとうございました。




小川 浩(おがわ ひろし)
株式会社モディファイ CEO。東南アジアで商社マンとして活躍したのち、自らネットベンチャーを立ち上げる。2001年5月から日立製作所勤務。ビジネスコンシューマー向けコラボレーションウェア事業「BOXER」をプロデュース。2005年4月よりサイボウズ株式会社にてFeedアグリゲーションサービス「feedpath」をプロデュースし、フィードパス株式会社のCOOに就任。2006年12月に退任し、サンブリッジのEIR(客員起業家制度)を利用して、モディファイを設立。現在に至る。著書に『ビジネスブログブック』シリーズ(毎日コミュニケーションズ)、『Web2.0BOOK』(インプレス)などがある。

2008/08/19 00:00

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