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「職人芸」をデジタル技術で伝達
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東京大学大学院情報学環 第一次世界大戦期プロパガンダ・ポスター・コレクション
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第一次世界大戦期プロパガンダ・ポスター・コレクション
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東京大学 大学院情報学環は、第一次世界大戦期に製作されたポスターをデジタル・アーカイブ化し、Webサイトに公開する「第一次世界大戦期プロパガンダ・ポスター・コレクション」(http://archives.iii.u-tokyo.ac.jp/)を開始した。
東京大学大学院の実施したプロジェクトというと、企業には縁遠い学術的なものと思われるかもしれない。しかし、このプロジェクトの責任者である東京大学大学院情報学環の吉見俊哉学環長は、「『職人芸』といわれるものは、必要がなくなると失われていく。今回のプロジェクトでは第一次世界大戦の際に作られたポスターにまつわる印刷技術を検証する作業を行ったが、企業の製品、それを作るまでのプロセスをデジタル化して、残していくことはその企業にとっても、社会にとっても有益なこと」と指摘する。団塊世代のサラリーマンの退職により、個人が持っている技術の損失を懸念する企業が多い現在、「職人技」をデジタル技術によって残そうとするこのプロジェクトは、次代に技術を残そうと腐心する企業にとっても参考となるのではないか。
■ 本来は裏方の印刷技術を調査で解明
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東京大学大学院大学環 吉見俊哉学環長
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このコレクションには、第一次世界大戦期にアメリカ、カナダ、フランス、イギリス、イタリア、インドなど世界各国で作られたポスター661枚が収録されている。これらのポスターは、元々は外務省情報部が第二次世界大戦時に収集したもので、第二次世界大戦後、不要となったことから、東京大学に寄付され、保管されてきた。
今回、これらのポスターの画像と共に、外国語テキストの解読、基礎データ調査、版式調査などの資料データをデジタル・アーカイブとしてまとめて、公開された。
特筆すべきなのは、ポスター作成に用いられた印刷技術の解明につとめた点だ。印刷にかかわった技術者はポスター作りを支えるいわば裏方。イラストを描いた画家やイラストレーターとは違い、どんな技術者がいて、どんな作業を行ったのかといった点については記録が残りにくい。
だが、吉見学環長は、「失われつつある技術や知識を継承していくというのは重要なこと」と強調する。
「現在の印刷技術は、デジタル的な作業が多くなり、人の手で作業する工程は圧倒的に少なくなっている。しかし、今回の調査を行っていく中で、やはり『人の手による作業』というものは非常に重要なものではないかと再認識した。そういった技術者を抱える企業が蓄積してきた知識を、将来のために残していくことも必要なのではないか」
吉見学環長が技術の重要性を強調するのは、「当初は簡単だと考えていた印刷技術を解明する作業が、実は最も苦労の多いものだった。だが、どんな技術が使われていたのかを解明する作業は、まさにこの調査のクライマックスと呼ぶべきものだった」という認識があるからだ。
当初、ポスターそれぞれがどんな印刷方法で作られ、何色の色を使って印刷されたのかを調べる版式調査は、そう手間がかからずに進むだろうと考えられていた。
「美術大学に通う学生や大学院生を呼んで、ポスターを見てもらえば、すぐに答えが出るだろうと勝手に思っていた」(吉見学環長)
ところが、美術大学の学生に見てもらっても、調査は進まなかった。作業に立ち会っていた東京大学大学院情報学環・小泉智佐子技術補佐員はその時の状況を次のように説明する。
「結局、美術大学の先生に見てもらったが、『これはとても学生レベルで判別できるものではない』というアドバイスを受けました。かなり、印刷技術に詳しい人でなければ、とても作業は進まないと言われてしまったんです」
■ 調査にかかわったメンバーは70歳以上の超ベテラン
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公開されたポスターの一部
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では、誰が調査を行えるのか?
人づてに協力者を探していった結果、実際に今回のプロジェクトに参加してもらうことになった、女子美術大学大学院美術研究科の客員教授である森啓氏、印刷学会出版部の山本隆太郎取締役相談役、凸版印刷 印刷博物館の学芸企画室長の宗村泉氏など、日本の印刷技術の第一人者に協力してもらうことになった。
「宗村さん以外はすべて70歳以上のメンバーばかり。それでも、森先生は、『これは私よりも上の世代の人から説明を受けたことがある。調査に入るのが10年遅かった』とおっしゃっていた」(吉見学環長)
現在の印刷は、「写真印刷」と呼ばれる、光学的な手法で印刷物の大本となる「版」を作っている。以前は石やアルミなどを用いて人間の手で「版」を作り上げていたが、第一次世界大戦期は、両方の手法の切り替え時期であった。森客員教授の「10年遅かった」という嘆きは、そういった手法を知る人たちがたくさん残っているうちに、このプロジェクトがあれば、もっと「技」について残すことができたからではないか。
しかも、今回のコレクションに収蔵されているポスターには、現在では考えられないほど手間がかかる「技」が駆使され、製作された。
「第一次世界大戦は、初めての情報戦争といえるものとなった。その際、メディアとして重要な役割を果たしたのがポスター。最先端の技術を活用してポスター製作が行われ、第二次世界大戦時点で製作されたものと比較すると、レベル的には第一次世界大戦時に製作されたものの方が技術レベルが高い。これは第一次世界大戦時には、映画、ラジオは技術的にも未成熟な部分が多く、メディアとして最も優れいたものがポスターであったため。第二次世界大戦時にはポスターを超えるメディアが登場したため、ポスターの重要性が薄くなったためだと考えられる」(吉見学環長)
つまり、第一次世界大戦期はポスターの黄金期であり、「今ではとても考えられないレベルの手間がかかった職人技によって、ポスターが作り上げられていたことが、今回の調査で明らかになった」。
調査は高精度のルーペで、印刷画面を調べることから始まる。その上で活版、平版、凸版、孔版といった印刷形式をみきわめていくのだが、判別手段は調査参加者の経験値のみ。だからこそ、印刷技術に精通した人でなければ調査ができなかったのだ。
「ルーペで網点で表示されている印刷物を見ながら、当時の印刷現場の状況を類推するわけですが、調査にご協力いただいたベテランの皆さんがどんどんノリノリになっていく様子を見ているのが、われわれ若いスタッフにとっても楽しかったですね」と小泉技術補佐員は振り返る。
吉見学環長など、「僕も興奮してルーペを買ってしまった」というくらいだから、調査現場がどれだけ盛り上がったかわかるだろう。
■ 過去の記録が次世代の製品を生む可能性も
調査によって判明した版式などポスターに関する情報とポスターの画像は、データベースソフト「FileMaker」を使って、デジタルアーカイブとなった。Windows版のFileMaker Pro 8でデータベースとファイルをホスト。そこにプロジェクトメンバーが利用するパソコンからアクセスし、アップデートしている。そこで作成されたファイルは、そのままFileMaker Server 8 Advancedを使ってインターネットで公開している。
吉見学環長は、「デジタル化によって、ポスターの現物に複数のデータを結びつけた多層的な資料を形成することができる。分析、研究を行う上で重要なデータアーカイブとなったのではないか」とデジタルアーカイブ化の意義を説明する。
プロパガンダポスターを印刷する際に用いられた職人芸とは、まさにアナログの技。それがデジタルアーカイブとして後生にも継承される環境が整った。
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ファイルメーカー・宮本高誠社長
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ファイルメーカーの宮本高誠社長によれば、ファイルメーカーを使ったデジタルアーカイブ自体は決して珍しいものではないという。企業が社内の資産を残していくための試みも増えている。
「例えば、松下ビジネスサービスさんは、すべての製品カタログをデジタルデータ化している。カタログを紙で残すと、検索を行うことは難しい。しかし、デジタルアーカイブという形態であれば、過去のカタログを参照することが容易になり、新しい製品を開発する際にインスピレーションを得るといったことに利用されている」(ファイルメーカー・宮本社長)
吉見学環長も、「過去に作ったものを保存するというのは、ひとつの結果論でしかない。それを作るまでのプロセスをアーカイブという形で蘇生させることで新たな意味が生まれてくる。企業が過去に作った製品を残すだけでは、過去を懐かしむ博物館になってしまう。しかし、それを作った技術者の知恵や工夫がどんなものであったのかといった記録を残していくことで、次の想像力を生む源泉となりえるのではないか」と作品だけでなく、製作過程をきちんと記録し、残すことが新しい製品を生む可能性があると指摘する。
「残す作業は最初意味を感じられないかもしれない。しかし、まじめに記録を残していくことで、ある時点で記録を残した意味を実感できるタイミングが来る」
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今回のコレクションの一部を前にファイルメーカー・宮本社長、東京大学大学院大学環・吉見学環長、小泉技術補佐員
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しかし、現在はリストラ、企業合併といったことが日常的に行われている。過去の資産を残す余裕がなくなっているところも多い。
その点に対し、吉見学環長は苦笑いしながら次のように説明する。
「余裕がなくなっているというのは、大学も同じ。われわれは1929年に東京帝大新聞研究室として誕生し、新聞研究所、社会情報研究所と名称を変更して、メディア研究を続けてきた。しかし、国立大学の独立行政法人化にともない、少人数の組織は単独で生き残っていくことができなくなった。そこで2004年に理系のコンピュータ科学との連携を選択し、大学院情報学環と合併した。外部からは、『新聞研究所はなくなってしまったんですね』と言われることも多い。まさに、企業の買収や合併と同じような見方をされている」
そういう外部の見方もあるからこそ、吉見学環長は今回のコレクション作成を4月4日に記者会見で発表。デジタルアーカイブはインターネットにも公開した。
「記者会見を開いたのは、新聞研究所という名称はなくなっても、われわれは引き続き活動をしているんだ!ということを示したかったから。合併したことで、人文的な知識しかなかった新聞研究所にコンピュータの知識が加わり、プラスが多かったことを理解してくれる人が増えるのではないか」(吉見学環長)
■ URL
第一次世界大戦期プロパガンダ・ポスター・コレクション
http://archives.iii.u-tokyo.ac.jp/
( 三浦 優子 )
2006/04/07 11:59
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