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Silicon Graphicsの破産法申請をどう克服するか-日本SGIが目指す“新境地”【中編】

現地法人からグローバル企業へ変身する日本SGI

 栄華をきわめたSilicon Graphicsは、1996年をピークに凋落の一途をたどる。しかしSilicon Graphicsの各国現地法人の中で、その苦境をものともせず独自の路線を歩んだ会社があった。日本法人の日本SGIだ。日本SGIはSilicon Graphicsの業績悪化に反比例する形で業容を拡大し、売上げを伸ばしていく。さらには100% Silicon Graphicsだったその資本構成をも、次第に日本企業の色に塗り替えていく。グローバルで事業を展開している欧米の国際企業の中で、この日本現地法人の変ぼう、変質はきわめて異例のことといわざるを得ない。そのシナリオを自作・自演している日本SGI代表取締役社長CEOの和泉法夫氏は、1998年10月に就任するとすぐにその壮大な実験を開始した。


火中の栗を拾った敏腕営業マン

 和泉氏は日本SGIの社長に就任して早々の1999年1月、シリコンバレー・マウンテンビューのSilicon Graphics本社で開催された「All Hands」と呼ばれる社員総会に参加した。

 社員総会といっても、キャンパスと呼ばれるSilicon Graphicsの広大な敷地に点在する、ある建物のカフェテラスのような場所で開催されるフランクなもの。社員はその時間に合わせて、徒歩や自転車、車などであちこちの建物のオフィスからこのカフェテリアに集まってくる。和泉氏はまだあまり知り合いも少ないそのSilicon Graphics社員たちに交ざって、当時のCEOであるRick Belluzzo氏の話を聞いた。

 Belluzzo氏は約1年前、HPの次期社長候補というポストをなげうってSilicon Graphicsのかじ取りに就任した男である。頭は切れるのかもしれないが、どちらかというと冷徹なイメージで、人から好かれるようなタイプとはいい難い。その男がこのAll HandsでSilicon Graphicsの業績はまだまだ芳しくないということを説明した後、突然のように「特に日本の業績がひどい。日本が足を引っぱっている」と発言した。今日の業績悪化を招いた原因は、まるで日本にあるかのような口振りだった。

 和泉氏が来ていることを知っていたのだろう。あえて、業績悪化の責任を日本に転化するような発言をした。和泉氏はこの言葉を聞いて、内心忸怩(じくじ)たる思いとともに、猛烈な反発も感じた。


 しかし、日本SGIの業績が極端に悪化していたことは事実だ。前年実績の約半分という散々な結果になっていた。だがそれはもちろん、和泉氏の責任ではない。和泉氏が、日本SGIの社長に就任したのは1998年10月。わずか2~3カ月前だ。

 和泉氏は、外資系企業ばかり経験していた。スタートは日本IBM。そして日本IBM時代の先輩格、高柳肇氏(日本タンデムコンピューターズ、コンパック、日本HP社長を歴任し、現ハイ・アベイラビリティ・システムズ社長)に請われて日本タンデムコンピューターズに移籍すると、その後1997年にタンデム本社がコンパックに買収される。しかし和泉氏は、それまでの日本のIT業界での実績を背景に、高柳氏とともに新生コンパックでも高柳社長、和泉副社長という最強の布陣をしく。

 しかしそれもつかの間、今度はそのコンパックがDECを買収した。さらにそのコンパックがHPに買収される。その中で和泉氏は、米本社の戦略のままに動かざるを得ない外資系日本法人の悲哀を嫌というほど感じていたのかもしれない。多くの社員が、「気が付いたらIBMに次ぐ大会社になろうとしている」とその合併劇を歓迎しているさなか、自らはDECの買収を機にあっさりと退社してしまった。

 そしてしばらくして、当時はすでに業績悪化が表面化していた日本SGIの社長におさまった。就任記者会見で和泉氏は「みんな大会社ばかりになってしまった。それでは業界がおもしろくない。ちょうどこのくらいの会社がいいのだ」と意味深長な発言をしている。

 結局和泉氏は、“火中の栗を拾う”がごとく業績悪化の日本SGIのかじ取りに就任する。しかしその直後、満座のSilicon Graphics社員の中で、Belluzzo氏から面罵(めんば)される。和泉氏は、日本IBM時代から敏腕営業マンとしてならし、高柳氏にも「特に、白兵戦をやらせたら和泉の右に出る者はない」といわせた男だ。このBelluzzo氏の言葉を聞いて黙っているはずがない。


“車の両輪”以上の存在へ

秋葉原のイベント、AKIBAXにも出展
 当然、和泉氏はBelluzzo氏の言葉に発憤した。Belluzzo氏が自分の政策の最大の目玉として発表したばかりのWindows NTベースのビジュアルワークステーション「Silicon Graphics 320/540」を、日本市場で売りに売りまくったのだ。「そういうなら、やってやる!」という気持ちだったのだろう。

 和泉氏自身は、コンパック時代に新たなPC事業を立ち上げたことはあったが、もともとはメインフレームや大型サーバーで育った人間。しかし、自分が参加したSilicon Graphicsとしてこのマシンを前面に押し出してビジネスを推進するというなら、日本法人の責任者として、その方針に対して最大限の努力をするというのが和泉氏一流のやり方だ。

 そこで1999年の新年早々には社内にビジュアルワークステーション販売を推進するための専任組織「ワークステーション営業本部」を新設。協力するという企業にはOEM供給もし、既存のワークステーションとの買い換えプログラムも実施、秋葉原のテント村の展示会にもプライドをかなぐり捨てて出展した。まさに、高柳氏がいう白兵戦を挑んだのである。

 その結果、日本SGIはSilicon Graphics 320/540を発売後3カ月で早くも6000台を出荷し、Windows NTワークステーションの国内シェアで突然No.1の座に躍り出てしまった。市場関係者も、突然Silicon Graphicsという、この市場では聞き慣れないベンダーの名前を聞いて驚いた。

 日本SGIの社員も、和泉氏の元で燃えていた。そして、業績も上昇に転じた。しかし、海の向こうのSilicon Graphicsそのものはまだ昔の栄華の名残を楽しんでいたのか、ピリッとしなかった。結局、ビジュアルワークステーションの発売後、半年たってもその全体の販売実績では日本だけが秀でており、米国をはじめ他の地域は低迷していた。

 つまり、和泉氏と日本SGIの社員に比べ、Silicon Graphics全体は旧態依然のままだったのである。まだ、海の向こうは「Silicon Graphicsというロゴがついていれば黙っていても売れる」と思っていた節がある。Belluzzo氏の言葉に発憤したのは、日本の和泉氏だけだった。


車の両輪としてSilicon Graphicsを支えた和泉法夫氏とBob Bishop氏
 そこで窮地に立ったBelluzzo氏は、1999年8月、低迷する株価をなんとか上昇させようと、集中と選択を掲げて、このビジュアルワークステーションの打ち切りなど新戦略を発表する。このあたりはすでに前回紹介したとおりだが、このBelluzzo氏の新戦略で彼の経営方針は破綻したと見たマーケットは、株価下落という冷ややかな結果をSilicon Graphicsに与えた。Belluzzo氏が正式に退任するまで、2週間もかからなかった。

 その後、Belluzzo氏に代わってBob Bishop氏がCEOに就任するのだが、和泉氏はこの時点で「一生懸命販売しても、親会社の都合で製品打ち切りでは日本のお客様に申し訳ない。日本SGIは日本独自でオペレーションしないといけない」と心底悟った節がある。

 Belluzzo氏と異なり温厚で、日本市場を熟知しているBishop氏は事あるごとに「日本と米国はSilicon Graphicsという車の両輪」と日本の取り組みを褒め称えるようになった。しかし、和泉氏の視点はさらに高いレベルに移っていった。車の両輪といわれても、このガタガタになってしまった車で日本SGIは心中するつもりはない。

 和泉氏は考えた。米本社のいうままになるのではなく、日本の顧客にフォーカスした日本独自のオペレーションを展開できるようになる必要がある。その体制を作る必要がある。いつまでもSilicon Graphicsの100%日本法人で留まっていることは日本のお客様の手前も許されない。


日本資本のドリームチーム

NEC、NECソフトとの戦略的提携を発表
 Silicon Graphicsの業績悪化は続く。その一方で、日本SGIの売上げは上昇に転じる。Bishop氏は日本SGIを車の両輪にたとえたが、しかし日本SGIがそれ以上の存在になる日はそれほど遠くなかった。

 2001年9月、日本SGIはNECおよびNECソフトの資本参加を受けたことを発表する100%外資の日本法人だった会社が、国産企業の連結子会社に転じるという、業界に一石を投じるような発表だった。結果として、日本SGI中でSilicon Graphicsの株式は40%となり、マジョリティ・シェアホルダーとしての権限も失った。

 その発表を受け、新聞は「日本SGI、NECの子会社に」という見出しを立てた。Silicon Graphicsが業績を悪化させ、日本の現地法人はNECに買収されたという見方だ。もちろん、その背景にはSilicon Graphicsの凋落があった。Silicon Graphicsの業績はどうも芳しくない。そこで、NECが手を差し伸べ日本の法人を傘下に収めたというストーリーである。分かりやすい。

 しかし、話はそう単純ではなかった。忘れてならないのは、和泉氏が外資系企業の中で、日本独自のオペレーションを実現したいと考えていたことである。そして、その思いに対して日本のトップメーカであるNECが応えたということだ。

 この2001年10月に、日本SGIはそれまでの100%外資、つまり100% Silicon Graphicsの日本法人という立場を捨てて、日本化を果たしたのである。しかし、和泉氏の思いはそれに留まらなかった。さらに、日本化を進める。

 2005年3月には、新たにキヤノン販売(現、キヤノンマーケティングジャパン=キヤノンMJ)ほか、ソフトバンク・メディア・アンド・マーケティング(現、ソフトバンククリエイティブ)、そしてニイウス(現ニイウス コー)の資本参加を受ける。

 そして2006年3月にはソニーからも約10%の資本参加を得て、増資する。日本SGIの元に、日本を代表する企業が次々と資本参加を申し入れてきたのだ。ここに来て、日本SGIは完全にSilicon Graphicsの日本法人という立場から脱してしまった。和泉氏が悲哀を感じた、米本社の意のままに日本法人が動かざるを得ないという危ぐを払拭した。


 ここで重要なことは、日本SGIという企業を核にして、NEC、キヤノンMJ、そしてソニーという日本を代表する世界企業が株主として名を連ねたということである。NECは日本を代表するコンピュータメーカーであり次世代情報ネットワークのリーディングカンパニー。キヤノンMJはイメージングの世界で最強の実績を持つ。そしてソニーは、コンテンツのホルダーでありクリエーターであり、特に映像・放送の分野では群を抜いている。

 和泉氏はいう。「これらの企業がそれぞれ協業することはあり得ない。それぞれが将来のコンテンツの時代に向けては競合同士であるからだ。しかし、その中心に日本SGIがいれば協業できる。それがわれわれの強みだ」

 日本SGIは単に国産資本を導入したのではなく、そこにはひとつの戦略があった。だから、これだけのそうそうたる企業が日本SGIを核に集まってきた。


Silicon Graphicsを買収?

 日本SGIの具体的な戦略は後編でその詳細を語ることにして、日本SGIの資本戦略をさらに続けたい。それは、日本SGIが単に日本化を推進しているだけでなく、その延長でグローバル化に転じているということだ。もともと、100%外資だった企業が日本化を進め、さらにその日本資本をバックに、今後は一転してグローバルの市場へと視野を拡大しているということである。日本SGIはその親会社であったSilicon Graphicsのビジネスをも自分の中に取り込もうとしているのだ。

 それが証拠に、2006年4月には、Silicon Graphicsヨーロッパの放送事業部門のビジネスユニットであったSilicon Graphics Broadcast EuropeをSilicon Graphicsから買い取っている。日本SGIはそのリリース文で「同事業部門に100%出資した」という微妙な表現をしているが、親会社からひとつの事業部門を買収したことに変わりはない。そして、ドイツ・ミュンヘンに本社を置いたサイレックス・メディアという会社を作った。かつては米国企業の日本法人だった企業が、独自にヨーロッパに事業拠点を作ったのである。

 ここまで派手でなくても、日本SGIはこのところ次々と海外企業に出資し、またアライアンスを発表している。2005年末には、カナダのコンテント・インタフェース・コーポレーション(CIC)に資本出資するとともに、CICおよびデジタル ニッチ アーカイビング(DNA)と共同でCICの日本法人を設立。

 続いて、2006年になると、英ゴルダノ社(Gordano Limited)と資本提携し、同社のメッセージング・ソリューション「ゴルダノ・メッセージング・スイート(GMS)」の国内独占販売権取得と、GMS日本語版の提供を開始する。さらに、米ジップリップ社(ZipLip,Inc.)とも資本提携し、同社が提供する、公開企業の内部統制に対応するソリューションとして米国金融業界で実績のある「ZipLip Unified Archival Suite」を国内マスターリセラーとして販売した。

 最近の日本SGIの動きを見ると、明らかにSilicon Graphicsとは一線を画し、独自のグローバル戦略をとろうとしていることが分かる。Silicon Graphicsの業績が長期低落を続けていた中で、日本SGIはこの“親会社”とは明らかに別の道をたどっていたのだ。その道は果たしてどこに続いているのか。



URL
  日本SGI株式会社
  http://www.sgi.co.jp/
  米Silicon Graphics, Inc.
  http://www.sgi.com/

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( 宍戸 周夫 )
2006/05/23 00:00

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