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マイクロソフト笹本氏に聞く、同社のオンラインサービス改革
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映像・広告・ポータルビジネスの集大成で挑む
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Eビジネス研究所が開催する「Eビジネス研究会」では、IT業界の次世代を担うキーパーソンを「Eビジネスマイスター」として講師に招き、業界の動向や将来のビジョンについて、参加者とのインタラクティブな質疑応答を交えたセミナーを行っています。この連載では、講演を行う前のEビジネスマイスターに、Eビジネス研究所 代表理事の木村誠氏がさまざまな話を伺います。
今回は、12月21日にEビジネス研究会の講師として登場していただくマイクロソフト・笹本氏に話を伺いました。
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Eビジネスマイスター:笹本 裕
マイクロソフト株式会社
執行役 常務/オンラインサービス事業部 事業部長
1964年 タイ・バンコク生まれ。獨協大学法学部法律学科卒、ニューヨーク大学経営修士終了
1988年 株式会社リクルート入社。電子メディア事業部などを経て、ISIZE事業部の副編集長を務める。主に電子メディア、オンライン関連での新事業の立ち上げに成功
1999年 株式会社クリエイティブ・リンク 取締役COOを務める。
2000年 MTVジャパン株式会社 取締役COOとして入社
2001年 MTVジャパン開局。MTVジャパン株式会社 代表取締役副社長に昇格
2002年 MTVジャパン株式会社 代表取締役社長 兼 CEOに就任。日本初の国際的音楽授賞式「MTV Video Music Awards Japan」の立ち上げに成功。
2003年 着信メロディサイト「MTV Sounds」サービス開始。MTVジャパン初のオーディションプロジェクト「STAR TOUR」スタート。
2004年 携帯向けプレゼントサイト「happy♪ MTV」、携帯による音楽認識サービス「MTV Music Finder」、携帯向け映画サイト「MTV Movies」、ストリ-ミングサイト「M-code」開設と放送ビジネスにとどまらず、モバイル事業の促進に努める。
2005年 MTVの「グローバルスタンダード」を広めるべく、日本における音楽・エンターテイメントの活性化を目指す。
2007年 マイクロソフト株式会社 オンラインサービス事業部 執行役事業部長として入社
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―Windows Liveの正式版が出たということで、それについてセミナーで2時間くらいしゃべっていただきたいんですが、今日はまず、笹本さんのパーソナリティーをご紹介したいと思いまして。
笹本氏
そうですか。じゃあ、まずプロフィールからお話しましょうか。
―タイのバンコク出身だとか?
笹本氏
ええ、この顔つきですから「帰化したんですか?」なんて言われるんですが(笑)。生まれがタイだというだけです。4歳まで、タイにいました。
―タイで生まれ育った理由というのは?
笹本氏
父親が日産自動車に勤務していまして、タイとオーストラリアへ、駐在についていったんです。5歳から小学校2年生までは日本、それから中2まではオーストラリア。帰国して中高と帰国子女を受け入れてくれる学校へ行って。大学時代は4年間、通訳のアルバイトをしていました。
―笹本さんの、キャリアの出発点なわけですね。
笹本氏
ええ、大きなきっかけですね。アメリカのテレビ局のNBCで、ニュース部門の特派員の通訳をやってたんです。それで、メディアに関連の深い仕事がしたいと思ってリクルートに入社したんです。
―入社を決めた動機っていうのは?
笹本氏
当時リクルートは情報システム事業を始めたところで、ニューヨークまで海底回線を引くとか、海外に向けても新たな事業展開をしようとしていたところだったんです。それで、メディアと海外の両方ができるっていう、学生らしい動機だったんですけどね。
―それで、入社した当時はどんな仕事を?
笹本氏
最初の配属は、住宅情報オンラインネットワーク事業部というところで。インターネットのはしりと言いますか、まあ専用線だったんですけど。リクルートの持っている不動産情報を、不動産会社にオンラインで配信するというようなサービスをやっていました。
―それは何年くらいのこと?
笹本氏
88年ですね。
―88年? その頃からもう、ネット系の事業を?
笹本氏
まあ、江副さんの『リクルートのDNA』では失敗した事業と言われちゃったんですけど(笑)。
―当時の経験が、今につながっているわけですね?
笹本氏
ええ、さらに、5年目の93年からはニューヨーク大学に留学させてもらったんです。ちょうど、アメリカでは情報スーパーハイウェイ構想が始まった頃でして。当初はファイナンスの勉強をしようと思って行ったんですが、オンラインの環境とか、世界とかビジネスとか、そういうものにふれて、結局情報システムマネジメントとファイナンスの両方を専攻したんです。
社長がニューヨーク出張に来られたときは、酔っ払った勢いで、これからのリクルートはダメです、もう情報誌の時代ではないです、なんてことを滔々(とうとう)と語ったこともありました。
帰国したのは95年なんですけど、ちょうどリクルートで電子メディア事業部ができるというので、その立ち上げをやらせてもらいました。そこから一気にITのほうに入っていきましたね。
―それは、今のインターネットと同じ?
笹本氏
そうですよ。でも、当時は電子メディア事業部と言っても6人しかいなくて。PCも1台だけだったんで6人で共有。もっと言うと、電話も1本しかなかったんですが。
―電子メディア事業部ではどんなことを?
笹本氏
リクルートは情報誌のビジネスによってデータベースを持っているので、それをどうやってオンライン化していくかということがメインだったんですが、同時に啓もう活動もやっていかなくちゃならないんですよ。リクルートの役員にとっては「ネットなんて何ぞや?」というところから始まるわけですよね。社内にまだ成功事例もない。なので、社内誌にコーナーを書かせてもらったりして、啓もう活動をするというのも僕の仕事でした。
―そうしているうちに、世の中でもネットが注目され始めますよね。
笹本氏
ユーザーが増えて、会社としてもネットに本格的に移行する頃にはもう、ISIZEの副編集長をやっていました。ほとんどの情報誌を電子化したところで次世代事業開発室というところに異動させてもらって、そこでは投資案件をやる担当だったんですよ。次第に、投資するよりはされるほうがいいなあと思ってですね。辞めようと。
―リクルートは、もともと転職や独立をされる方が多くいらっしゃる。
笹本氏
ええ、だから珍しいことでも何でもないんですが。当時は、共働きで子供がいる家庭を育てるコミュニティサイトを立ち上げようと思って、事業計画書を作っていたりしました。たまたま、知り合いのアメリカの弁護士の目にとまって、英語でやろう、ということになってシリコンバレーに持って行っちゃった。そしたら、回りに回って日本に来て、それがクリエイティブリンクという会社でした。リクルートにも出資してもらって事業を始めました。
クリエイティブリンクは、「東京レストランガイド」をやっていた会社です。ベンチャーの会社ですから、どうすれば大手に勝てるのかなあと考えたら、データベースしかないな、と。「東京レストランガイド」は、ユーザーがレストランに行った感想を書いて、レビューとして投稿することで成り立っているコミュニティサイト。どんどんデータベースがたまっていくんですね。
その当時から、自然増殖型のコンテンツビジネスに注目していました。大手でも、一から何か始めるには時間がかかるじゃないですか。だったら早く始めたほうが勝てると思いました。
―クリエイティブリンクにいたのは、何年くらい?
笹本氏
1年半くらいですかね。バンダイネットワークスさんに買っていただいて、今でもバンダイさんが事業をされています。
―1年半というのは、起業するには道半ばなのでは?
笹本氏
いやもう、人生あれほど仕事した時期はないのかもしれないなと思うくらい。その当時は本当に寝なかったですね。全然疲れた記憶がないんですけども。朝から何やってたかというと、すべてなわけですよね。人の採用から会社のP/Lを見たりとか。
―クリエイティブリンクって、大きい会社のイメージがあったんですが、当時は何人くらいで?
笹本氏
5、6人ですね。今ではバンダイさんがしっかり運営してくださってますが。リクルート時代から、仕様書を書いたり、プログラムも、文系の僕にPerlとかC++を書けとか。サイト立ち上げやビジネスモデルの構築は経験させてもらっていたんでね。1年半くらい、ものすごい勢いで作り上げて、かつ、中国にビジネス展開までしたので、密度の濃い1年半でしたね。
―そのあと、MTVへ行かれたわけですか。
笹本氏
ええ、ちょうどインターネットバブルも崩壊の兆しがあった頃で、ヘッドハンターの方からお声をかけていただいてMTVに入ることにしました。当時アメリカのMTVでも、ケーブルテレビだけでなくてオンラインでの配信が必要だと言われていたので、要はテレビのことも少しかじってて、オンラインのことも分かっていて、ビジネスモデルとしては広告なので、広告のことも分かっている人間が必要だと言われたんです。転職したのは2000年のことでした。
―MTVのどんなところに、興味を?
笹本氏
MTVに入ることにしたのも、メディアっていうことへの興味が、僕のバックボーンにありまして。世の中はブロードバンド化していくわけですけど、ここでしっかり、映像ビジネスに携わりたいと。自分のキャリアディベロップメントとしては、経営というだけでなくて、映像ビジネスに携わることもいい経験かな、と思ったんです。実際、映像とかエンターテインメントの世界というのがどれほど社会に影響力のあるものかを実体験で知ることができたし、予算がない中でファンドからは利益を求められる、その中でさまざまな相違工夫も経験しました。
―なるほど、具体的にはどんな役割を?
笹本氏
MTVはパイオニアから事業を買収してMTV Japanを立ち上げたんですね。パイオニアはミュージックチャンネルという会社をお持ちだったんですが、そのブランドをMTVに変えたんです。H&Qというファンドが買収をして、そこにMTVが資本参加をして、僕が入ったという流れなんですけど。
なので、まず、買収した会社をリストラしないといけない。僕の最初のミッションっていうのは、「リストラをしなさい、売上を70%伸ばしなさい」と。先輩に相談したら、いい経験だからやってみなさい、でも嫌われるから1年で辞めたほうがいいなんて言われましたけど。
でも、思いのほか1年目がうまく行きまして。入社した翌年の年末に、社長がヘッドハンティングにあって辞められてしまって、副社長だった僕が、社長をやらせていただくことになりましてね。2002年のことで、当時35歳くらいでした。
―自信はあったんですか?
笹本氏
当時は野心のかたまりでね。学生の頃から自分で会社を経営したいと思っていたので、こんなチャンスはめったにないと。やってみると、本国やファンドとのコミュニケーションはそう甘くなかった。外資、特に東海岸の会社は一般的にドライでもありますし。今は丸くなったんですよ、体型も含めて(笑)。精神論になっちゃうけど、自分が変わらないと周りを変えられないと気付かされたのがこの時期です。
―MTVを辞めたのが昨年末ですか。
笹本氏
ええ、ちょうどMTVがすべての買収を完了したタイミングで、買収の記者会見も僕がやって、もうすべてやったなあということで退職をしたんです。マイクロソフトに行くことは決まってたんですが、1カ月リフレッシュして入社しました。
―最初マイクロソフトというオファーを聞いたときは?
笹本氏
すごく堅実な会社というか、正直言って堅苦しいところなのかなと。ただ、自分のキャリアステージを考えたとき、マイクロソフトの規模であったり、技術やビジョンには惹かれました。
僕は、メディアとは「感動×感謝」であるとよく言うんです。ユーザーに感動を与えるコンテンツ、それはMTVで作ることができた。次に、感謝というのは、技術力であったり、サービス、その中にコミュニティがあったりするんでしょうけど、こんな便利なものがあってよかったとユーザーに思ってもらえること。それらを掛け合わせたメディアが作れるのではないかと思ったのが入社の理由の一つ。
そして、クリエイティブリンクの時代に僕が思い描いてできなかった、データベースを多変量解析してユーザーとユーザーをマッチングさせるとか、サーチ、コミュニケーションツール、あるいはコミュニティを作るとか、そうしたパーツをマイクロソフトは全部持ってるんですね。これを、あと組み合わせるだけだな、と思って。こんなことができる会社は他にないですよ。例えばGoogleさんにはサーチがあって、YouTubeは買収しましたけど、もともと事業会社が違ったわけですし、統合するという設計思想はないかもしれません。
パーツが全部一つのところにあって、自分が事業としてやらせてもらえる。今までやってきたことの集大成が、マイクロソフトにはあると思っています。
―2年前にも、MSNは広告事業に力を入れていくというお話を伺って、本国からも指示が出ていると聞きましたが、その頃からあまり変わってない印象があるんですけどね。笹本さんに変わられて、構想はいかがでしょう?
笹本氏
もちろん、広告には力を入れていきますよ。マイクロソフトは、良くも悪くも、実はここ半年以内に相当変わったんですよ。今までは自社ですべてを開発するという方針だったのが、買収も含め、外の力を入れていこうとしているんです。絵は描いていて、パーツを着々と埋めていっているのが今の姿。来年くらいには少なくともバージョン1くらいは出せると思います。
簡単に言えば、ユーザーを集めてくるということ、そして広告のビジネスモデルを形成すること。いかに、それらをつなげたときに絵ができるかを、世界統一の戦略として形成しようとしているところですね。
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Windows Liveが実現するエコシステム
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―僕らの中には、hotmailを最初に使ったユーザーが、もうちょっとコアになるとGmailを使うといった「格付け」がどうしてもあるんですね。Windows Liveになって、何か巻き返しは考えていますか?
笹本氏
そもそも、MSN hotmail、MSNメッセンジャーだったのが、Windows Live hotmail、Windows Liveメッセンジャーに変わったんですよ。これは、一つの方向転換の現れでして。マイクロソフトの強みを生かさなきゃということなんです。
その、マイクロソフトの強みとは「エコシステム」ということ。パートナーとの協業で成長していくということです。OSを作ることで、すべてのPC上で走るソフトウェアを作りやすくなった。協業の相手は、PCメーカーであるとか、モバイル、カーナビ、家電メーカーなどであるわけです。
―オンラインサービスでも同じってことですか?
笹本氏
ええそうです。オンライン上のエコシステム、そして協業モデルを作らなければいけない。Windows Liveというのは、オンライン上のWindowsプラットフォームであるという言い方をしているんです。先日の記者発表でアナウンスしましたように、Windows Liveの中で、GyaOさんと一緒にやる。今までだとMSNだけで完結していたところがです。エコシステムなので、極端な話、Yahoo!さんやGoogleさんに使ってもらってもいいんですよ。
今回、MSNとWindows Live を分けたのは、MSNというのはコンテンツプロバイダのブランド、ポータルのブランドですよね。それを持っていては、Yahoo!さんやGoogleさんと競合するので使ってもらえないんじゃないか。Windowsなら、協業やエコシステムを提唱しているブランドですから、皆さんに使ってもらえるオンライン上のソフトウェアというサービスが提供できると考えています。実際に今、パートナーの開拓を推進していますけども、われわれは将来、表に立たなくなるんじゃないかと思うんです。表に立つのは、GyaOさんなどの会社であって、われわれは、黒子として支えていく。それは、マイクロソフトの本来の姿に戻ったと言えるんじゃないかと思います。
会社としての強みとか、カルチャーを利用するということが、最も成長を早めると考えているんです。黒子に徹している間に、いつの間にかマイクロソフトのユーザーが増えていればうれしいことですし、協業パートナーに表に立っていただくことで、われわれは技術に投資して、協業パートナーを支えていくという関係を築いていきたいですね。
―では、続きはセミナーで詳しくお話しいただくとして、最後に日本のネットビジネスについて、ご意見をお聞かせ願いたいんですが。
笹本氏
日本の企業の多くは、ある意味甘やかされてると思うんですよ。経済力も人口規模もありますから、国内市場でそこそこ成長しますよね。その先のグローバル戦略で、つまずいてしまう。シリコンバレーの企業は、最初からグローバルな市場を見ていますから。そっち側に立って経験しないと、日本の問題は分からないんじゃないかなと思うんです。
MTVでは、日本を外から見る経験をしましたので、クリエイターを発掘して世界に発信するという思いを強く持って、コンテンツを作っていました。日本の才能を世界に出していきたいという思いはもちろん今も変わっていません。
マイクロソフトでも、オンラインやモバイル領域については本国も認めているところで、日本の技術者が世界展開の前線に立つチャンスもあると思いますよ。
―Eビジネス研究所のセミナーで講師を務められた「Eビジネスマイスター」の中には、シリコンバレーで起業された方もいまして、皆さんおっしゃるのは、シリコンバレーには志を吸い上げてくれる力があると。ご自身の経験を生かして、次世代の起業家を支援し、シリコンバレーに送り出す事業をされている方もいらっしゃいます。
笹本氏
僕もね、次世代を育てたいという思いがありますね。将来、ビジネススクールで教えるとか、あるいは投資家とか。関係者の成功のお手伝いができたらいいなと思ってます。やってみたいビジネスは、企業再生ですね。それも、大きいところのお手伝いがしたい。
日本のネットビジネスは、構造的な問題、人の考え方の両面で、もう1世代経ないと変わらないんじゃないかと思います。ここ数年で、ネットビジネスが定着はしたけれど、まだ成熟化はしていないんですね。20%の法則と言われますが、オンライン広告の市場規模は、まだ広告市場全体の2割満たないんです。
ネットビジネスを変えることは1社ではできない。ビジョンを描く力、そして投資リテラシーを高めることが課題ではないでしょうか。
今回のキーワード:プラットフォーム戦略
マイクロソフトは、Windows OSの普及を支えた協業モデルとして「プラットフォーム戦略」を提唱している。OSを共有の「資産」と捉え、さまざまな企業がそれを使ったサービスを提供するというモデルである。開発会社、ビジネスを行う企業、ユーザーの間でbenefit(効果、利益)が循環することでよりよいサービスが生まれるとしている。
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12月21日に開催される第93回「Eビジネス研究会」のEビジネスマイスターとしてマイクロソフト・笹本氏が登場します。詳しくは、こちら。
■ URL
Eビジネス研究所
http://www.e-labo.net/
マイクロソフト株式会社
http://www.microsoft.com/japan/
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木村 誠 1968年長野県生まれ。2000年6月より『Eビジネス研究所』としてITおよびネットビジネスに関する研究、業界支援活動をスタート。2003年4月『株式会社ユニバーサルステージ』設立。代表取締役として、ITコンサルティング、ネットビジネスの企画・立案、プロデュース全般を行う。2006年ネットビジネスのイベントとしては国内最大級1000人規模『JANES-Way』実施。2007年4月よりIT業界に特化した職業紹介『ITプレミアJOB通信』をスタートさせ好評を得る。ASPICアワード選考委員。デジタルハリウッド、トランスコスモス、マイクロソフトなど講演多数。 |
2007/12/14 08:59
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