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ネットワン吉野社長に聞く、クラウドコンピューティングの最先端事情


 「Eビジネスマイスターに聞く!」では、IT業界の次世代を担うキーパーソンを「Eビジネスマイスター」と称し、Eビジネス研究所 代表理事の木村誠氏がさまざまな話を伺います。今回は、ネットワンシステムズ株式会社 代表取締役社長の吉野孝行氏に話を伺いました。


吉野氏 Eビジネスマイスター:吉野 孝行
ネットワンシステムズ株式会社 代表取締役社長


1969年、日本電気エンジニアリング株式会社(現、NECフィールディング)入社。東京エレクトロン株式会社、米フォアシステムズを経て、日本シスコシステムズ株式会社(現、シスコシステムズ合同会社)に入社。2007年10月にネットワンシステムズ顧問に就任。2008年6月に同社代表取締役社長に就任。


―僕は2000年6月からEビジネス研究会というネットビジネスの勉強会を企画してきたんですが、今日はネットベンチャーに携わる若手に向けてメッセージをいただきたいと思いまして。

吉野氏
 ネットベンチャーといえば、ビットバレーですか。懐かしいですね(笑)。ちょうど、Web 1.0から1.5くらいの過渡期のころでしょうか。従来の日本文化にない企業が活躍し始めたころですね。僕は98年からシスコにいましたから、ネットワークやサーバーという部分で、間接的にネットビジネスにかかわっていたんです。

 シリコンバレーをはじめ、IT企業がどういう会社運営をしているのか、ということに興味が持たれた時期で、シスコはIT企業の意見を聞く会社という役割をしていました。シスコって何をやる会社なの、ということを分かってもらい、ルータやスイッチを売るだけでなく、仕事のやり方にまで話し合いを進めていましたね。


―当時からネットワンシステムズのことはご存じだった?

吉野氏
 ええ。もちろんよく知った会社でした。シスコの日本法人が作られたのは92年の5月。ネットワンはそれより前の88年設立です。当時はネットワンがシスコ製品の日本での独占販売権を持っていたんですよ。しばらくして、販売権が日本シスコにスイッチして、ネットワンは代理店になりました。

 ですから、ネットワンという会社は、シスコの前々職の東京エレクトロンのときから知っていました。


―東京エレクトロンでは、どのようなお仕事を?

吉野氏
 輸入のハイテク製品を日本のお客さまに紹介・販売する仕事です。僕はスパコン用のLANを担当してまして。日本でビジネスをやろうとすると、富士通・NEC・日立などと商談することが契約の近道になります。このような会社とお付き合いをしながら、スパコンのビジュアライゼーションを提案していたんですね。スパコンはもともと、数値しか出ないですから、シミュレーションしたものをSunやSGIなどを使って3Dの立体画像で出しましょう、といった提案です。


―なるほど。吉野社長はずっと営業をされてたんですか?

吉野氏
 いえ、最初は技術だったんですよ(笑)。社会人になって最初に入ったのはNECの子会社(現・NECフィールディング)だったんですが、当時は、エンジニアがオンサイトでサポートするという業務が中心でした。プログラミングを勉強して、勉強した結果を客先でやってみるという毎日でした。

 今でこそ、ハードのサポートなら修理やメンテナンスに特化できるようになっていますが、当時は、ハードウェアの不具合だろうが、ソフトウェアの不具合だろうが、とにかく動かせ、と(笑)。


―どんなお客さんを担当されてたんですか?

吉野氏
 銀行や農協に出入りして、金融系のシステムを見ていましたね。

 当時は「仮処置の吉野」なんてあだ名をつけられましてね(笑)。地方ですと、すべての部材がそろってるわけじゃないので、何とか仮処置をしなければならないわけです。国鉄の業務なら、社員の給与システムを1日でも止めると遅配が起こってしまいますから。

 銀行もそうです。朝・昼・晩の3回、データがテープに転送されてくる。当時は通信速度が50ボーとか、後には300とか、せいぜい1200くらいのスピードしか出なかったけど、それでも人が行くよりデータの方が早かった。

 こんなふうに4年強、お客さまのところで学ばせていただきました。

ボー:アナログ通信回線における変復調速度の単位。モデムなどの通信機器が1秒間に何回変復調を行えるかを表す。60年代前半ごろは、通信速度50ボーの通信機器が主力であった。


―その後、東京エレクトロンにも技術者として入ったわけですか?

吉野氏
 ええ、磁気ディスクやテープをサポートするエンジニアでした。

 それがあるとき、上司と「東京エレクトロンは何をやる会社だ?」「商社です」「商社なら営業が必要だな」「はい」「だったら、お前営業やれ」(笑)みたいなやりとりがありまして。異動の1週間前に、技術職から営業に変わるように言われました。


―そこで営業に抜てきされなければ、今の吉野社長はいなかったわけですよね。何か、上司に注目されるきっかけがあったんですか?

吉野氏
 今の企業でもそうですが、会社として、技術の分かる営業職が必要だったんだと思います。僕はお客さまとしゃべるのが好きだったので、上司もそういう面を見てくれていたのかもしれませんね。


―東京エレクトロンには何年くらいいらっしゃったんですか?

吉野氏
 73年に入社してから20数年いましたよ。それなりの立場もいただいたし、何より、やりたいことをやらせてくれる職場でした。

 そのうち、時代の変化が目前に迫ってきて、今でいうバリューチェーン、つまりシステムや部材をモジュールに変えて供給すべきではないかと考えるようになりました。システム、モジュール、チップセットとお客さまは変わるだろうけれど、全部エレクトロンという名前で供給できるだろう、そういう長いレンジで利益が出る仕組みを作って、テクノロジーオリエンテッドな供給者になりたいと。それを上層部にかけあったら、「事業部作って、部長やれ」と。いや、全社的な話であって、1つの事業部を作る話じゃないだろうと。

 迷ったんだけど、そこで会社を出る決断をしました。米国のフォアという会社を経て、シスコに入ったのは98年のことです。当時の社長の松本さんとは古い付き合いだったから、シスコに入るときも、「直接お客さまと対話がしたい、パートナー営業はしたくない」ときっぱり言ってましたね。


―東京エレクトロンを出たときが一番の転機だったんでしょうか?

吉野氏
 いやあ、転機はたくさんありましたよ(笑)。

 富山で育って、英語が嫌いだからって技術系の学校に行って、NECの系列会社に入ることになったんで地元を出たのが最初の転機。

 東京エレクトロンに入ったら輸入機器の商社だったんで、英語ができないと言ったら「サンフランシスコに行って勉強してこい」って言われて。次はお客さまのところに行け、と。それでロサンゼルスに四半期に一度行くようになり、そのうち2カ月に1回、ついには毎月行くようになって。駐在員から文句を言われたことがあるんですよ。「吉野さんの言ってることが分からない。なのにアメリカ人はウンウンうなずいている。どんな英語なんだ!?」って(笑)。


―今のような話は社員に話してるんですか?

吉野氏
 いや、一切言ってないんです(笑)。

 僕は、自分のわがままを達成できるような仕事の場に恵まれていたと思うんです。今度は社員のためにそういう場を作って、提供していく番ですね。

 ここ2カ月ほど、特に若い社員に話しているのは、お客さま、自分、会社、その三者のためになっていることであれば、自由にやっていいぞ、と。二者のためだけなら問題がある。1つだけなら絶対やっちゃいけない。自分のためだけだと私利私欲に走ってしまうし、お客さまのためだけだと会社の知的財産権が守れません。

 もう1つは、定性から定量へ、という発想の転換です。ゴールに対して、どのような手法で達成しますか、ということ。当社では、オペレーションレビューといって、定量的なことを上司と部下で目標設定するようにしています。例えば新規事業をやるとすれば、どうやって利益を作るんですか、と。お客さまを100社回る、みたいに目標とプロセスをはきちがえないように。行きっぱなし、やりっぱなしはいけない、アウトプットを出せ、と指導しています。


―会社の目標については、どのようなお話を?

吉野氏
 比較する対象を国内にとるのはやめましょう、と。日本という国の生産性にとらわれず、サンノゼの経常利益率をめざそうじゃないか、ってね。向こうの経常は20%くらい。それに比べて、日本企業は4%くらいでしょう。だったら、まず10%を目標にしようじゃないかって。

 国内で、誰かと誰かが競合している、それを対比するレベルで仕事しちゃいけない、インドの会社がどのような仕事のやり方をするか知ってますか、とも話してます。


NetOneグループの将来像
―事業内容については?

吉野氏
 昨年末から、マーケット・イン型の付加価値のあるシステムを売る方向にビジネスモデルを変える取り組みをしてきました。単なるメンテナンスやコンサルではなく、改善提案ができるようになりましょう、と。

 当社は20周年を迎えましたが、コアはやはり技術力だと思っています。ルータやスイッチをとっても、製品の単体評価ではなくて、使っていただいた後のサービスも含めたインテグレーションまで。技術力をベースに、次にどこを事業領域にできるのか考えていきましょう、って。


―例えばどんな事業をイメージされてるんでしょう?

吉野氏
 ネットワークって、何と何をつないでいるんですか、というと、上位でいうと人と人ですよね。便利に思うことはどんなことか、考えてみたいと思うんです。

 電話ひとつとってみても、おかしいと思いませんか? 電話をかける時点で、相手がいるかどうか分からない。留守だったら、かけた方にとっては成果がないわけですよね。相手のプレゼンスを見ながら、声か、映像か、チャットか、いなければメールを送る、そういうふうに的確に情報をやりとりできるシステム、いわゆるユニファイドコミュニケーションを作りましょう、といった話ですね。


次世代のITプラットフォームは、ユーザーアクセスをトリガーに必要なサービスを提供できるユーティリティプラットフォーム
―分かりやすい例をありがとうございます。いま話題の「仮想化」や「クラウドコンピューティング」についてはどうでしょうか?

吉野氏
 実は、サーバーにも同じことがいえるんですよ(笑)。

 今、ネットワーク上でXOC(エキスパートオペレーションセンター)という施設から運用管理をしています。お客さまのご協力をいただいて、営業・人事・財務管理などのシステムのパケットのログをとってサーバーやストレージの利用率を管理しています。

 ひとつひとつのルーティンワークを見ていくと、いわゆる「締め」のサイクルが1カ月に1回のところもあれば、週単位のところもある、みんな異なる使い方をしている。ピークや混雑状況も違うんです。それをどう理解して、運用したり、サーバーの追加・削減をしていますか、ってこと。部門単位で、部分最適なシステムがいっぱいできちゃってることだってあるんです。ピークの性能で追加するというのも、サーバーが多いから減らすというのも、正しい判断じゃないかもしれない。そこで、仮想化とか、必要なときに必要なものを提供するサービスとして、クラウド的に、SaaSの手前のようなソリューションが出てくるわけです。


―導入事例で印象に残っているものは?

吉野氏
 とあるISP会社に、VMwareサーバーから、ストレージ、ネットワークまですべて任せてもらえることになりました。一般論で言えば、VMwareとネットワークって直接はつながりにくいと思うんですが、ネットワークから見たときに初めて仮想化の効果があるんです。まる2年近く技術取得を行い、先般お客さまでインプリメーションをやって、一切トラブルがなく、まもなくお客さまから新サービス提供の案内が行われます。

 また、クラウドについては、5000台とか、1万台のサーバーを使うお客さまって、日本ではまだほんの一握りでしょう。クラウドはそんなお客さまだけのものですか? うちのクラウドは4台のサーバーからできます、評価してください、と申し上げています。使い方も簡単にデモできます。マイクロソフトのVisioのイメージですね。ブロックダイヤグラムを作ってコンパイルするだけです。

 今までシステムというものは、特別なところに置かれていた。開発まで1年か2年待ちなさい、と。一般ユーザーが本当に、「easy-to-use」な環境に置かれることがクラウドコンピューティングのメリットだと思いますね。


ユーティリティの時代、クラウドコンピューティングの発想がお客さまの要求を変化させる 今後の事業領域(概念図) 今後の事業展開(概念図)

―詳しいですね~、社長さんなのに。ここまで語る方は少ないですよ(笑)。

吉野氏
 一般的な日本企業だと、バックグラウンドが総務・経理や営業だったりして、技術寄りの人は少ないかもしれませんね。

 うちの営業の人にも言ってるんですが、シナリオを頑張って覚えただけでは、お客さまの反応が「分かってて言ってんの?」ってなるでしょう。自分の好きなものの話だから、熱意を持って話せるんです。さわったことのないものは言えない。でも、1回さわったら、人に伝えたくなりますよね。


―現在でも現場(営業)を?

吉野氏
 お客さまの会社に、行くところ行くところ、この話ですよ。これからはクラウドで、目的はこうでって(笑)。

今回のキーワード:クラウドコンピューティング
クラウドコンピューティングとは、ネットワーク越しに“コンピュータの雲”と接続し、必要なときに必要なだけアプリケーションやハードウェアなどのさまざまなITリソースを利用することができる仕組み。
ユーザーメリットとして、次のようなことが挙げられる。
1)スピード:新しいサービスを迅速に市場に対して提供可能
2)コスト:ハードウェアやソフトウェアなどのIT資産を持たず、必要なときにサービスとして利用することによってコスト削減を期待
3)グリーンIT:必要なときに必要なだけリソースを利用することによってITの資産効率が向上し、グリーン化に大きく貢献
ネットワンシステムズは、このクラウドコンピューティング基盤を提供するために、ネットワーク、サーバー、ストレージ、CPUなどの仮想化や、これらの仮想化したリソースをオンデマンドで提供可能にするユーティリティ化を実現している。また、これらのリソースの一括した運用管理をXOC(エキスパートオペレーションセンター)から支援している。



URL
  Eビジネス研究所
  http://www.e-labo.net/
  ネットワンシステムズ株式会社
  http://www.netone.co.jp/



木村 誠
1968年長野県生まれ。2000年6月より『Eビジネス研究所』としてITおよびネットビジネスに関する研究、業界支援活動をスタート。2003年4月『株式会社ユニバーサルステージ』設立。代表取締役として、ITコンサルティング、ネットビジネスの企画・立案、プロデュース全般を行う。2006年ネットビジネスのイベントとしては国内最大級1000人規模『JANES-Way』実施。2007年4月よりIT業界に特化した職業紹介『ITプレミアJOB通信』をスタートさせ好評を得る。ASPICアワード選考委員。デジタルハリウッド、トランスコスモス、マイクロソフトなど講演多数。

2008/10/02 08:59

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