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「遊休CPUで作る仮想スパコンビジネス」ブランドダイアログ稲葉社長
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「Eビジネスマイスターに聞く!」では、IT業界の次世代を担うキーパーソンを「Eビジネスマイスター」と称し、Eビジネス研究所 代表理事の木村誠氏がさまざまな話を伺います。今回は、ブランドダイアログ株式会社 代表取締役社長の稲葉雄一氏に話を伺いました。
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Eビジネスマイスター:稲葉 雄一
ブランドダイアログ株式会社 代表取締役社長
大学中退後にSP会社、ITベンチャーを得て、電通グループに入社。
株式会社電通ワンダーマン、株式会社電通テック、株式会社電通でのインタラクティブコミュニケーション領域、クロスプロモーション領域で多くのクライアント業務を担当。電通社内の統合プロモーション領域におけるプランニングMVPを多数受賞。
2006年に世界に通用するインタラクティブプロモーションインフラ実現のために、ブランドダイアログ株式会社を設立。代表取締役に就任。
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―まず、独立のきっかけからお聞きしたいんですが。
稲葉氏
僕が手がけていたのはクロスプロモーションの領域で、テレビ、雑誌、新聞、ラジオ、すべての情報をインターネットに集約するための仕組み作りをしていました。高トラフィックを受けるためのイントラに多額の費用がかかるというのが、僕らもクライアントも共通の課題だったんですよ。
アクセスが集中するのはテレビで放映されているときかメディア出稿時だけ、ほんの一瞬のことで、パフォーマンスが余っている期間のほうが大きい。それなのに、何億円という費用がかかってしまうんですよ。無駄が多い。
インターネットとテレビを融合させたプロモーションは今でも主流になってますけど、2011年に地上デジタル放送になったとき、さらにインターネットとテレビが密接になってくるでしょう。インターネットとテレビに、バイアスがかからずにすぐ移行できる時代になったとき、今後、企業が今以上のトラフィックを受けるためのインフラコストにお金を出せなくなるんじゃないかと思うんですよ。
―これって、GRIDYの話につながるんですよね。
稲葉氏
もちろんです。これが独立のきっかけなんですから。
GRIDYの開発者であり、当社の取締役でもある森谷は、今言ったような課題を解決してくれた人間なんです。
―独立前から、インターネットの仕事をされてたんですよね。
稲葉氏
ええ。キャンペーンを作り続けてました。特に僕の担当は「クロスプロモーション」と呼ばれているもので、インターネット単体の仕事とは、また少し違うものなんです。
―インターネットをさわり始めたのはいつごろ?
稲葉氏
僕はインターネットというより、もともとCOBOLの技術者なんですよ。資格も持ってるんです。僕は、1968年生まれなんですけど…。
―僕ら同い年なんですよね(笑)。
稲葉氏
僕の時代、16歳から20歳までって、ちょうどフォートランからCOBOL、COBOLからCに変わった時期だったんです。それに僕は、小学校の時からBASICをいじってたんですよ(笑)。
―すごいじゃないですか? テクノロジー、バリバリじゃないですか?
稲葉氏
バリバリなんですよ(笑)。ポケコンをね、小学校・中学校の時にはポケットにしまってた子供でしたから。こう見えても、昔からパソコンいじりが大好きだった。インターネットっていうものをいじり始めたのが92~93年ですかね。
―じゃあ、プログラム言語からきてるから、もうリテラシーは?
稲葉氏
リテラシーはすごくありましたよ。
―モザイクが来たとか、そういうものをずっと見てたわけだ。
稲葉氏
ああ、見てました、見てました(笑)。
モザイク:現在のように画像とテキストが混在するWebブラウザが広まったのは1993年のこと。米国の研究所NCSAが開発した「モザイク(Mosaic)」が最初だった。その後、モザイクをベースにしたブラウザ「Netscape Navigator」へと応用されている。
―けど、学校中退して、一度はイベントのリアルの世界に行ったんですよね?
稲葉氏
僕、インターネットに入って、Windowsをやる前に、使ってたのがMacintoshだったんですよ。最初はクリエイティブをやりたかったですからね。今は全然、忘れちゃいましたけど(笑)。
それで、大手広告代理店の仕事をよくやってたんですよね。東京ドームとかのイベントの制作をやってたんですよ。
あとはどんな事やってたかなあ? ああ、証券会社の組合の仕事。運動会の企画とか、あるじゃないですか。音楽イベントもやりましたし、テレビの仕事もやりましたね。テレビの仕事は、テレビ局とリサーチの仕事をやったり、番組のコーナー作るための「仕込み」をやったりもしましたよ。
―何でもやりますね!?
稲葉氏
ええ、人がかかわることなら何でも。その時の経験からですよね、タタターンといろいろ、変わっていきましたね。
僕は、インターネットとキャンペーンを組み合わせた仕組みを考えるようになって、どうしても実践したかった。一番ピッタリなのは自動車会社だと思ったんです。その時、僕が考えていたのは、キャンペーンでとった顧客情報を、各支店に送って、それをもとにどう顧客にアプローチしていくかっていう仕組みづくりでした。時間がかかってもいいから、僕はこれ一本で行くと決めて、某自動車に売り込みに行った。そしたら、その時担当者が一発で、大絶賛してくれて! 全然、コネも何にもないのにですよ。
―それは何年くらいのこと?
稲葉氏
97年か98年か、それくらいですね。
営業マンが1台の車を売るときに、その人に何回会って、1回会うのに何時間かけてるのか。そこに、企業としてコンバージョン率を必ず持ってるんですよね。それを引き上げるためにはどうしたらいいのか。1カ月に抱える顧客の数と、成約率というのを最適化することが、インターネットの活用によってできると思って、それを実施したんですよ。
顧客情報を数値化して、その数字を見ているだけで、そのお客さんがどういう嗜好(しこう)で、どういう車に乗りたくて、いつ車検で、総合的な確率がどれくらいあるのか、っていうデータを全部営業マンに持たせることができたんです。
そのシステムを作ったら、すごく効率よく売れるようになって。結局、何千万円という規模の仕事になりました。
―某自動車の営業マンみんなに、そのシステムを使わせたと?
稲葉氏
関東だけですけど。だから、全営業所、販社の社長を回って、その当時は職場に社員数のパソコンも入ってないですから、なんでパソコンを入れるといいのか、どのように顧客管理をインターネットを通じて行うのか? というところまで話しました。
また、社員向けにパソコン教室も開いて毎日てんやわんやでした。自分は何屋?って感じでしたよ。
―それが、やりたかったこと?
稲葉氏
ええ、本質はインターネットでダイレクトマーケティングの仕組みを作りたかったんですよ。今流でいえばCRMですね!
セールスマンの「売る喜び」といいますか、まだ実績を出していない新人セールスマンの教育ツールとしてこの仕組みを活用していきたい、と言っていただきました。
結局、その施策は業界の中で有名になって、いくつかの大手広告代理店からお誘いがかかったんです。
―その当時、広告代理店の大手は、まだインターネットよりマス広告中心だったわけでしょ? なのになぜインターネットに注目された? 将来性ですか?
稲葉氏
僕は、CRMの領域でクライアントの課題を解決したいという気持ちがもともと強くて。そんな時代でしたから、自分はプランナーとして最初はまったく評価されなかった。会社での評価はどん底でしたよ。それでも何年も続けたんです。それが3~4年続けたときに、それがクライアントにも、上層部にも世の中の反響もやっと認められたって感じですかね。
―いきなり、どん底からトップに?
稲葉氏
そうです。それから、クライアントに対して何を提案しても負けない。それが2~3年くらい続いたかな。でも、他社も目をつけるようになって、競争が激しくて負けるようになってしまった。部署を異動させられるという話にもなったんですが、「もう1回だけやらせてくれ、それでダメだったら引き下がる」って上層部を説得して。その時、この髪型だったんです(笑)。
―今みたいに、髪を後ろで縛っていた?
稲葉氏
ええ、覚悟を決めて、サムライになろうって。この髪型をしてから4年になりますけど、競合に一度も負けたことありませんよ(笑)。
部下もみんなそれを知ってて、切ろうとすると「会社がどうなるか分からない」って。みんなで運を担いでますね。髪型で会社をどうこうしてるわけじゃないんですけど(笑)。
―従来のマスに向けた広告から、インターネットが出てきて、概念がガラッと変わったわけですよね。そこにずっと、問題意識を持っていたと。
稲葉氏
インターネットの使い方自体が、今後大きく変わってくるだろう、特に時代が流れて行けば行くほど必ず問題になるだろう、と思っていました。
YouTubeだとかニコニコ動画を例にとると、どんどんユーザーが増えてきて、サイトとしての資産価値だけはメチャメチャ上がってる。たぶん何億円、何十億円という価値になってると思うんですけど、いざビジネスとしての収益を考えたら、いくら売り上げているのか? まだ採算が取れない状況ですよね? ユーザーが増えれば増えるほどハードウェア回線が膨らんで、損益分岐点がどんどん上がっているのが現状だと思います。
何をするにしても、インターネットサービスを拡大させてビジネスモデルを完成させるためにはインフラのコストがボトルネックになるのは明らかだ、という意識がまずあったんですね。
―起業した理由もそのあたりにあるということ?
稲葉氏
ええ、インターネットのインフラ環境が整い始め、高負荷なインターネットサービスがどんどん立ち上がり、サービスを受けるためのインフラコストが収益を圧迫し始めている現状。インフラのコストをいかに軽減できるかという仕組みに出会うために、外に出たんです。電通にいたら、プランナーとしての評価に縛られてしまう。SIerなんかの世界から一線を画してしまいますからね。
それに、クリエイティブの世界と違って、プロモーションの世界は人にフォーカスされないんです。「このCM、誰が作った?」っていう話は出てきますけど、プロモーションを仕掛けた人の名前って、あまり出てこないですよね。地味な仕事であっても、消費者と一番接点が強い、購買に一番近いことをやってる人が多いなかで、フォーカスされないという思いがあった。電通の中で賞をとったところで、世の中には認められない。僕が外に出ることによって、きっかけができるんじゃないかと。
―独立した時は、会社を一人で作ったんですか?
稲葉氏
最初、独立したときは一人で、電通から請けた仕事をしていました。
外から人を集めようとして、最初に会ったのが森谷だったんです。森谷はグリッドコンピューティングの概念を持っていて、まったく違う職域の仕事をしてた。彼は独立したい、僕はこういう課題を持っているという話し合いをして。そこで僕から、グリッドを活用して僕の「インフラのコストをいかに軽減できるか」という課題を解決できないかと伝えて、できるんなら、おれが金を出すと。そしたら「できる」というので、株式会社グリッディという研究開発会社を作ったんです。
そしたら、8カ月くらいで成果が出ちゃって。僕は、この事業で行けると思って、ブランドダイアログの100%子会社だったグリッディを合併することにしたというわけです。
―それで作ったのがGRIDYですか?
稲葉氏
ええ。彼が一人でこもって、8カ月くらいでグリッドインフラを作り上げちゃったんです。
―じゃあ、そろそろGRIDYの根幹について教えていただけますか?
稲葉氏
待ってました!(笑)
僕らの事業をひとことで言うと、遊休CPUとHDDを世界から集めて、グリッド技術で集約して仮想のスーパーコンピュータをインターネット上に作ろうということ。それを「JapanGRID構想」と呼んでいます。
―P2Pとどこが違うんですか?
稲葉氏
パソコンの中に2つのOSが立ち上がると思ってください。P2Pならフォルダが別々にできるだけでしょう? 僕らはGRID用に別のOSを持たせるので、PCからGRIDの中に手を突っ込むことができないんです。
それに、GRIDのターミナルを通じてデータの伝達を行うので、P2PのようにPC間で相手の情報を取りに行くことはしないんですよ。
―加入してくれる人がたくさんいないと仮想スパコンも成立しないんでしょ?
稲葉氏
スパコンを作るための「資源(CPU/HDDの空き能力)」を集めるために、グループウェアを完全無料で出します。サイボウズさんとか、大手メーカーと同等以上の機能を持ったものです。普通はお金を出しますよね。お金の代わりに、対価としてパソコンの資源を貸してもらうんです。
―そこから、どうやって利益を出すんですか?
稲葉氏
資源が余っているパソコンがある一方で、例えば動画配信サービスでは、大容量の動画配信サーバーが必要ですよね。不足しているところに、有料で貸し出す。
―動画配信といえば、僕もワッチミー!TVさんなんかと面識がありますね。
稲葉氏
ええ、知ってます。
あとは、CPUをいっぱい使う、メタバース系のサービスですとか。アニメ番組なんかの動画エンコードでもCPUをたくさん使いますよね。会社を出る前にパソコンを付けっぱなしにしてても、一晩たっても処理が終わらない。それはCPUが足りないからなんですよ。
―9月の下旬ごろから、資源をもらうほうのユーザー募集の広告を始めたんですよね。
稲葉氏
僕らは20台くらいのパソコンを持っている、要するに20人規模の会社が100社欲しかったんです。僕らの言い方では、2000資源集めようとした。そしたら、9月20日に募集して、2000資源到達が3日で終わってしまった。
―それは、まだ取引がなかった会社?
稲葉氏
ええ、広告を出したら一気に来ちゃった!
今は100社を超えて、1万5000資源ほど集まっています。500名以上の規模の会社もあって、その中には東証一部上場企業も数社あります。
―資源は順調に集まっているんですね。一方で、有料ユーザーには従量課金なんですか?
稲葉氏
僕らが集めた「資源」っていうのは、1CPU単位、HDDの何MB単位というのを、秒単位、分単位、時間単位、日単位、週単位、月単位と、どのようにでも貸し方は切れるんです。要するに、仕入れがゼロだからいくらでも価格調整ができちゃうんです。
大きいレンダリングの仕事があったりエンコードの仕事があったりすると、それを高速に処理したい。CPU 100個を24時間貸してくれ、っていうオーダーを受けることになります。僕らとしては、1つのCPUを1時間いくらという単位で貸すことを想定しています。僕らは、これで億というお金が動くと思っています。
―夜でも「資源」のパソコンが動いてなきゃダメですよね?
稲葉氏
それを解決するために目をつけてるのがデータセンターやインターネットカフェです。インターネットカフェのお話はもう進んでいて、2000台以上のPCをどう資源化するかというテスト段階に11月から入ります。データセンターというのはホスティングをやってる企業さんですね。
また、時差を利用するために海外展開も考えています。夜8時から夜中の2時までをピーク時としていますが、その時間帯でも安定的に利用できるようにするには、海外の資源を利用することも必要と考えているんです。
国の助成金でアメリカとヨーロッパにも特許を出願しました。
―「資源」を貸してくれる会社に提供しているグループウェアは自社開発なんですか?
稲葉氏
ええ、全部自社開発です。今後は、資源を貸し出す際の展開として他社からアプリやソフトを提供してもらい弊社のSaaSで使われた分をアフィリエイトをかけるというやり方も考えています。
―「資源」を出すかわりにグループウェアを使いたいという会社はどんなところ?
稲葉氏
今でも1日5社から10社くらい問い合わせが来ていますが、社員100~500名までの中規模企業が50%を超えています。
導入の理由は、「コスト」で来てるわけじゃないんです。お客さんの要望は、業務効率とセキュリティなんです。少しリテラシーの高い会社であれば、「P2Pとどう違うんですか」と聞かれます。それは想定内のことで、P2Pと弊社グリッドの違いを理解してもらうこと、どう啓もうするかがミッションであると思っています。
また、大手さんにはGRIDY提供以外の対応をしています。
社内の業務効率化のツールを作りたい。動画配信ASPを作りたい。それを運用するためのコストを軽減してくれるのであれば、会社内のパソコンを「資源」化してもいいと。あるいは6000台のPC内で仮想サーバーを作ってこのサービスを実現できないか、さらに余った労力は「資源」に出してもいい、などという申し出をいただくので、それぞれのユーザー企業に合わせたSaaSを一から作っています。そのための開発費用は、提供いただける「資源」の割合に応じて減額するという仕組みで、低コストを可能にしているんです。
―「資源」を使ってもらう側への働きかけは?
稲葉氏
例えば、ビジネスコンテストを開催するというのもいいですね。この「超高速エンコードのソフトを作ってください」とかですね。
これだけの仮想スパコンが世の中にできることによって、技術者のインキュベーションもできるわけですよ。優秀な技術者やインターネットビジネスプランナーを支援して、アプリケーションを作ってもらう。それが使われたら、対価が入るという仕組みも実現できますからね。
イノベーションとインキュベーションを同時に実現するというのが、僕の理想なんです。
今回のキーワード:グリッドテクノロジー
PCのCPU/HDDの空き能力をネットワーク上でクラウド化し、少しずつかき集められた能力を1つの仮想スーパーコンピュータ化した技術。仮想スーパーコンピュータをブランドダイアログではインターネット上で活用するサーバーに置き換え、次世代のインターネットサービスを支えるインフラとして活用する技術。
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■ URL
Eビジネス研究所
http://www.e-labo.net/
ブランドダイアログ株式会社
http://www.branddialog.co.jp/
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聞き手:木村 誠 1968年長野県生まれ。2000年6月より『Eビジネス研究所』としてITおよびネットビジネスに関する研究、業界支援活動をスタート。2003年4月『株式会社ユニバーサルステージ』設立。代表取締役として、ITコンサルティング、ネットビジネスの企画・立案、プロデュース全般を行う。2006年ネットビジネスのイベントとしては国内最大級1000人規模『JANES-Way』実施。2007年4月よりIT業界に特化した職業紹介『ITプレミアJOB通信』をスタートさせ好評を得る。ASPICアワード選考委員。デジタルハリウッド、トランスコスモス、マイクロソフトなど講演多数。
ライター:加藤 京子 |
2008/11/28 11:35
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